朝顔の花 (http://www.ashinari.com/)

 7月の始めは、まだじめじめした梅雨が続いていますが、梅雨が明けると晴れわたった夏本番の暑い日がやってきます。7月の別名は文月(ふみづき)と言います。旧暦の文月は、現在の8月の中旬過ぎから9月の中旬近くになります。

 暑さのなかで消息を知らせる文(ふみ)をやり取りする文扱月(ふみあつかいづき)が文月になったとする説と、稲の穂がふくらむ月なので穂含月(ほえみづき)、または含月(ふくみづき)が転じた説が有力です。ほかに、七夕に詩歌を詠み書物を夜風に晒す習慣から文披月(ふみひらきづき)、秋の初めの秋初月(あきはつき)、女郎花(おみなえし)が咲く月で女郎花月、七夕の月で棚機月(たなばたづき)、七夜月(ななよづき)、七夕を愛でる逢月(めであいつき)、蘭月(らんげつ)、涼月(りょうげつ)などの名称があります。

 7月は、山開き祭、朝顔市、祇園祭り、七夕、盂蘭盆会(うらぼんえ)、お中元など、昔から伝えられて来た行事があります。その二、三を取り上げます。

 山開きは、登山者に山を開放する行事です。天にそびえる山や峰は、古来より神々が降臨してとどまる所、遠い先祖が神として鎮まる所、農耕に不可欠な水の神が宿る所として信仰の対象とされました。その山にむやみに入ることは禁じられていたのです。山を神聖視する信仰に、仏教や道教や陰陽道が習合した日本独自の修験道の山岳修行が盛んになると、夏の一定期間だけ信仰の登拝が許されるようになります。山に登ることは現世の迷いを除き、身を清め、神気と霊力を授かるための修行です。

 その登山期間の初日に行なわれるのが山開きです。現在では登山を信仰よりスポーツとして見ますが、著名な山々が行なう山開きの祭りを登山の開始日と捉えています。山開きの期間は山によって違いますが、旧暦の6月初めの行事を今の暦でひと月遅れに直したもの。これにならって海開きや川開きが行なわれるようになりました。

 また、この季節の可憐な花として朝顔市の立つ朝顔の種子は、漢方薬として利尿剤や下剤に使われますが、千二百年以上も前に遣唐使が中国から薬用として持ち帰ったそうです。古代中国では、朝顔は牛と取引きされるほど高価な薬なので牽牛(けんぎゅう)と呼ばれました。また、王の大病を朝顔の種子で治し、その謝礼に当時の財産である牛を与えられ、牽(ひ)いて帰ったので牽牛子(けにごし)と名付けたとする説があります。

 本来、日本で朝顔とは、桔梗(ききょう)や槿(むくげ)のように朝に開花する花の名前でした。牽牛子の花が伝来し、朝顔の仲間入りをして牽牛花をアサガオと読むようになりますが、いつの間にかケンギュウカとも呼ばれるようになります。牽牛花は七夕の牽牛・織姫の物語と組み合わされ、七夕の前後の日に朝顔市が開かれるようになりました。

「市中繁栄七夕祭」歌川広重:江戸末期 (Wikipedia)

 七夕の行事は、日本の織物の織女(おりめ)信仰と、中国で古代より盛んだった星信仰の伝説と、それにまつわる習俗が混じり合って一つの行事になったものです。

 古代、織女の中から選ばれた聖なる棚機津女(たなばたつめ)は、年に一度、水辺の機屋(はたや)にこもって神の衣を織り、神を待ちます。現れた神は一夜を過ごします。翌日、村人たちは禊ぎを行ない村中の穢れや災いを持ち去ってもらいます。訪れる神に徐災と安寧を願う信仰です。七夕(たなばた)は、この棚機(たなばた)から転化したとされますが、一方の中国の伝説は、有名な牽牛と織女(しょくじょ)の物語です。

 天帝の娘の織女はたぐい稀な織物の技能を持っていたが、働き者の牛飼いの牽牛と結婚するや、二人とも怠惰な日々を送るようになり、天帝の怒りにふれ仲を裂かれます。天の川の両側に別れた二人は年に一度だけ、7月7日に逢うことが許されます。夜空の真上に来る天の川に、鵲(かささぎ)という鳥が翼を拡げて橋を架け、織女がその羽根橋を渡って牽牛に逢いに行く。この物語は、星座の鷲座の牽牛星と琴座の織女星がいつも向きあったまま動かずにいるので、両星の逢瀬の恋物語がうまれ、後世に天の川を渡って出逢う説話が付け加えられました。二つの星の逢瀬を眺め、女性たちが七本の針に五色の糸を通し、庭に机を置き酒肴や瓜などの果物を供え、織女にあやかって裁縫や手芸の上達を祈る乞巧奠(きこうでん)という習俗になります。この乞巧奠が日本に移入されて宮中行事になり、次第に民間にも拡がっていきます。庭上の机に香花(こうげ)を供え、字を書いて置き、棹に五色の糸を懸け、梶の葉に願い事を書いてその成就を祈ったのです。梶の葉が五色の短冊となり、これに詩歌や手芸や書道の上達の願い事を書いて笹竹に飾る風習は、江戸時代の寺子屋の行事として盛んになり現在に引き継がれました。

 この七夕は、すぐやって来る日本古来の、祖先崇拝と仏教が習合してお盆となった御魂祭りのための、禊ぎの行事であったとも言われます。

 お盆の行事は地方によって旧暦、新暦、ひと月遅れなど日程がさまざまです。明治6年に今の暦が採用されてから140年近く経っているのに、いまも混乱が続いています。

 いまは新暦からひと月遅れのお盆が主流のようです。次号ではお盆について述べます。

(奈良 泰秀 2009年7月)