群生するススキ(箱根)

 9月はまだ暑い日が続きますが、中旬をすぎると朝晩は涼しくなり、しのぎやすくなってきます。空気も爽やかになり、食べ物がおいしい実りの秋を迎えます。9月は、重陽(ちょうよう)の節供、お月見の行事、彼岸の中日となる秋分の日などがあります。

 9月を旧暦で長月(ながつき)といい、現在の暦でも使われています。旧暦をいまの暦になおすと、今年の長月は10月18日から始まります。長月は、夜をだんだん長く感じる月の「夜長月」が略されて、長月になったとする説が有力です。1年の間でもっとも夜が長いのは冬至の前後ですが、夏は夜が短いので、旧暦の9月に入ると急に夜を長く感じるのでしょう。ほかに、「色取月(いろどりづき)」、「竹酔月(ちくすいづき)」、「菊月(きくづき)」、「小田刈月(おだかりつき)」、寝覚月(ねざめづき)、「紅葉月(もみじづき)」など、秋の趣きを現わす別名もあります。また、古来、我われの先祖にとって稲の生育と収穫は最大の関心事でしたが、稲穂の長く満ち成る「穂長月(ほながづき)」、あるいは稲を刈る「稲刈月(いながりづき)」が、なが月になったとする説もあります。

 7世紀の末頃に中国から我が国に伝えられた重陽の節供は、旧暦の9月9日の行事で、菊の節供とも言われました。重陽とは、陽の数が重なるという意味です。古代中国の陰陽思想では、奇数は吉祥(きっしょう)の陽の数であり、偶数は陰の数とされました。一桁(ひとけた)の数の最大の陽数である9が重なることで、重陽、または重九(ちょうく)と言われました。 

 中国に伝説があります。むかし、仙人が弟子に、“今年の9月9日にお前の家に災難がある。家の者に嚢(ふくろ)を縫わせ、それに茱萸(しゅゆ、和名:カワハジカミ)を盛って臂(ひじ)にかけ、高い処に登って菊花酒を飲めば災禍(さいか)を免れる。”と云うのです。弟子がそのようにすると家人は災難を免れたが、家畜が身代わりになって死んでいたという説話です。また、菊慈童(きくじどう)という稚児が菊の群生する山あいに流罪となり、お経の一説を菊の葉に書いてそこから滴る夜露を飲み、童顔のまま800歳まで生きたという伝承があり、これが習合して重陽の節供の起源となります。

呉茱萸(和名:カワハジカミ.山椒の一種)

 ちなみに日本にはそれまで菊は自生しておらず、奈良時代に薬用として伝来したようです。日本書紀には、685年に天武天皇がこの重陽の宴(うたげ)を催したと記されています。その後は、天皇の帳(とばり)の左右に茱萸を入れた袋をかけ、菊瓶を置き、茱萸の小枝を頭に挿した群臣が詩歌を詠み、歌舞を奏で、菊酒を賜わる節会(せちえ)となります。さらに菊慈童の故事に倣(なら)い、重陽の前夜から菊の花に真綿(まわた)をかぶせて菊花の香りと露を移し、それで身体を拭う「菊の着せ綿」という習慣にもなります。仙境に咲く菊にあやかり、老いを拭い、若返りと長寿の効能があるとされました。

 武家社会になると重陽の節供は宮中より盛大な祝賀の儀礼となります。江戸時代には参賀のため、諸大名が石高で定められた礼服で総登城する重要な式日となります。一般民衆にもこれが伝わり、季節の栗ご飯を炊き、菊酒を飲んで祝いました。重陽の祝賀の贈答もあり、武家・町家を問わず使いの者が武術や芸事の師の許に通うので、往来が賑やかになると俗本に書かれています。

 しかし、かつて盛んだった重陽の節供も、いまは廃れました。原因は、明治の新暦への切り替えで新暦に日付だけを残しても、残暑厳しい現在の9月9日は菊の花が咲く時期ではなかったことと、江戸の川柳に、“重陽は 何も立てぬ 節供なり”とあるように、松・雛・幟・竹といった形容(かたち)となるものが無かったからでしょう。

 9月には、これも中国から伝来した月見の宴があります。中国では古くから月を眺めて楽しむ「望月」という風習があり、これを遣唐使が伝えました。日本の兎の餅つき伝説はこの望月・もちづきが転訛(てんか)したといわれますが、中国の月見は本来、里芋の収穫祭だったという説もあります。この月見だけは新暦というわけにはいかず、空気が澄んで月が美しく見える旧暦に従わなければなりません。平安貴族が楽しんだ風雅な観月は、旧暦8月15日の中秋の月を15夜、ひと月近い後の9月13日を13夜として、両日に月見をする日本独自の夜の宴となりました。中国では月餅を供えますが、日本では農作物の収穫を感謝する儀礼ともなり、月見団子とその年に収穫した芋や栗や枝豆などを供え、生命力を象徴する穂の出たススキを飾って月を愛でる習慣が定着しました。

 また、秋分の日は、祖先を敬い亡くなった人々を偲ぶための祝日です。もとは、春に山の神が里に降りて農耕の神となり、秋に収穫を見届けて山へ帰るという古来の信仰に、仏教思想が浸透して先祖を供養する仏教行事へと変容したものです。彼岸とは、煩悩と迷いの現世である此岸(しがん)に対し、悟りの境地の世界のことですが、すでに彼岸にいる人たちの供養と、辿りつこうとする人たちを辿りつけるように願う彼岸会の法要は、これも日本独自のものです。彼岸のお墓参りでぜひ先祖との繋がりを実感してください。

(奈良 泰秀 2009年9月)