天ノ岩座神宮

 私が宮司を務める神社の本宮には、磐境を奉斎するので社殿がない。この磐境は、山陰と山陽地方を分ける中国山脈の、広島県中央部にあたる山中に在る。境内の辺り一帯は深い樹林に包まれ、静寂さと森厳さが漂うなか、朝には狭霧が流れて千古の時を超えた雰囲気を醸し出す。参道の平地から、すり鉢状の沢を降って反対側を登り、なだらかな頂上台地に達した処に神籬・磐境(磐坂)が鎮座するという、神殿を設けない典型的な上古の磐座信仰の形態を、いまに伝えている。

 太古にあって神々は、高い山や海の彼方からやって来て、人々が祭りを行う神聖な神籬とする處に降臨された。神々は祭りの度ごとに神籬に降臨され、祭りが終わると神籬から離れて帰られた。ときが経ち、仏教が渡来し、人びとの棲む場所に寺院が建てられると、これに倣って神々のための社殿も建てられるようになった。そしていつの間にか、それまで移動型だった神々は、この社殿に留まるようになり、現在に至っている。

 かつて神籬とされた磐座での祭祀が、いまでも神社によって厳修されている処もあれば、人々の記憶から消えて忘れ去られた処もある。箱根神社のように、八世紀の社殿建立より遥かに遡って行われて来た磐境祭祀が、明治になって途絶え、約一世紀後の昭和三十年代に古代祭祀として復活させたところもある。

 この磐境だが、磐座、岩座、岩坐、といったものとの違いを尋ねられることがある。磐境は岩石を組み合わせたもの、磐座や岩座は岩石単体、といった見方をする研究者もいるが、原則的に同じものと捉えて良いと思う。私はいま、自然と神とひとが共生する磐座祭祀の意義を、世に伝えようと努力をしている。

 いまから二十年以上前のことだが、昭和五十七年の夏、磐座研究の権威・中西旭先生始め、当時近江神宮宮司だった横井時常先生たち二十数名が、私共の磐境をご参拝された。その折、中西先生には、『太古祭祀への讃仰・大土山の岩座にふれて』と題した一文を私共の「岩座顕彰趣意書」にご寄稿頂いた。少し長くなるが、その一部を記したい。

 「―(略)わが本土の山々を巡ると、麓の神社の元つ宮とされていない古代祭祀跡にゆきつくことがある。この予想外の岩座が、とくに、広島県と岡山県に幾多も存在する。それも、ただ驚嘆される大構築も少なくない。いずれも一万年を超える有史前とみられるが、当時は、安芸と吉備と出雲にかけて、一大文化圏があったのではあるまいか。神武東征の途次、埃宮(えのみや=広島)と高島宮(たかしまのみや=岡山)に長期滞在された記事(記・紀)とも関連がありそうである。

  ここに、広島県のほぼ中央に鎮まる大土山の西北の一峯(六八八米)の頂上の岩石群もその一つである。これは、饅頭型の巨石を主座とする、ほぼ平坦な地面に点在する岩根の組合せであるが、その形態および配置ならびに環境のあり方からみて、まさしく祭祀のための太古岩座である。もし発掘が許されるならば、石器時代以前の祭器も出土するであろう。また、その西麓の甲田町辺から、沢山の立派な古墳群が見出されるのも、それ以前からここに文化の源泉(祭祀)があったからであろう。他の著名な「元つ宮」に比して、その規模は、とくに巨大でも微小でもないが、その威厳にみちた雰囲気は、著しく清明にして優雅な稜威が感受される。おのずから、辱(かたじけな)さに涙こぼれるが、何ごとが在(おわしま)すかは、凡夫の身には知りかねる。―(略)」

 古来より地元・近郷の人々により崇敬の対象だったこの磐境の奉斎を顕したのは私の師・溝口似郎先々代宮司である。師は以前、広島県で最も古い神社、旧名を比婆大社という熊野神社に奉職されていた。私が弟子入りして他の神職から新米の扱いを受けていた頃から、磐境で祭事を執り行うために、崇敬会のひと達はそれぞれが祭具を背負い、汗を流しながら森の中の獣道のような小道を黙々と登って運んでいた。

 私が先代から宮司職を譲られて、先ず手懸けたことは、境内の整備であった。白蟻に侵食された大鳥居を鋼製に替え、老齢化していく崇敬会のひと達を思い、重機を入れて参道を拡幅した。獣道は大型車が走る道となり、神域が近くなって、確かに便利にはなった。

 しかし、あたりの景色は一変した。樹木が何百本も伐り倒され、空がぽっかりと拡がり、鳥の囀りも減った。ふと、参道に植えられたか細い桜の苗木を見たとき、私は大きな過ちに気付いた。この苗木が大木になるには何十年も掛かる。切倒した樹木はもとには戻らない。此処には磐座というかたちが在る。有りのまま、自然のままで良かったのではないか。

 三年前、私は法人の代表役員を降り、祭祀を行う宮司職のみを引き受け、都会で一介の神職に徹することに決めた。舗装も取り止め、これからは総て手を掛けずに、自然に復す時間を待つことにした。外見やかたちに拘らないことで、ひとに頭を下げて寄付を集めるという俗事からも解放された。

 自然と共に生き、磐座に在す神に向かい真摯な祈りを捧げた太古に生きた我々の先祖の精神、古神道のこころをいまの社会に思い起こさせることが、自分の役目だと思っている。

(奈良 泰秀  H16年2月)