つい先日のことだが、私共の古神道講座の受講生や研究会の事務局の者達と群馬県の北西部にある岩島村を訪ねた。この岩島地区は品質の良い麻を産出する栽培地として古くから有名である。

麻は日本の伝統文化や神道の世界から切り離せないものがある。しかし現在、それを声高に言う者は、ほぼ居ない。最近、私共では神道サイドからこの麻の存在を見直し、麻の文化の復権を目指す趣旨で、研究会のなかに分科研究会「麻文化研究会」を発足させた。先月も滋賀県の奥伊吹地方で消滅しかかった郷土芸能復活を果たすため、それに必要な麻製の着衣を織る目的で麻栽培を始めている地域の見学に行って来たばかりだ。

神に献るものを幣帛と云い、最も重要な取り扱いをすべきものとされる。古来より麻はこの幣帛の代表的な品のひとつとされてきた。十世紀の平安初期に成立した国家の法制書である「延喜式」には、制度として神社への幣帛の詳細を記載しているが、この幣帛の中には、絹などと共に麻が挙げられている。また麻は、神事で行なう罪科穢れを祓う“祓具”として用いられた。それが後には、神宮大麻というように、神符の一種としても扱われるようになって来ている。

麻は元来、太古から我々の祖先達の生活と深く密着した関わりを持って来た。麻が昔から日本の各地で栽培されたことは文献などに記されている。最古の歴史書「古事記」成立の翌年に撰録された『常陸國風土記』には、「麻生里(あさふのさと)。古昔(いにしえ)、麻、渚沐(なぎさ)の涯(きし)に生ひき。圍(かく)み大きなる竹の如く、長さ一丈に餘(あま)れり』と麻の生育地の状況と、その生え具合が記されている。また、宮中祭祀を掌る齋部一族の齋部廣成が大同二(八〇七)年に編纂した「古語拾遺」には『長白羽神〔略〕をして、麻を種(う)ゑしめて、青和幣(あおにぎて)を為(つく)らしめ、・・・」とある。和幣とは前出の幣帛の一種だが、麻で作った布は青みがかっているので青和幣と云う。この青和幣に就いては『記・紀』にも記されている。そして、日本最古の歌集として名高い『萬葉集』には、四世紀から八世紀までの天皇から名も無い庶民に到るまで、約四千五百首の歌が集められているが、それには麻の栽培や織物などの労働に関わっている歌や、麁服(あらたえ)(麻の織物)についての歌が何首も詠まれている。

このように麻と太古の人々との関わりの深さを見て取れるのは、今から一万年も前の縄文期の遺跡から麻の繊維や種子が見つかっていることだ。森羅万象、天運が循環し、自然との調和のなかに神が宿るとした古代から、麻は衣類を始め、日々の生活に必要な様々なものを作るのに活用されて来た。更には神事に於いても重要な役割を担って来ているということだ。その成長の早さと逞しさに強い生命力を感じてのことか、かつての日本人の精神性の基層には、麻に対する神聖さといったものが刷り込まれている筈だ。それは天皇が一世に一度の大祭祀である践祚大嘗祭において、悠紀殿・主基殿の両殿に神座を奉安し、繪服(にぎたえ:絹布)と共に神衣としての麁服(あらたえ:麻布)が神座の最も近くに目の粗い竹篭に入れて安置され、供進されることがその象徴として捉えることが出来よう。

現在、日本での麻の栽培は法律によって厳しく制限されている。戦前までは農家や一般家庭の庭先に生えていた麻だが、戦後、GHQが持ち込んだ対日占領政策に依って作られた法律で、麻は規制の対象となり姿を消した。

岩島麻保存会

以前、日本人は体質に合った麻製品に長い間馴染んで来た。戦後、行政から麻の栽培免許を取得して製品を生産しても、仕上がるまで手間の掛かることや安価な輸入麻や化学繊維におされて、各地で生産消滅の危機があった。私共が足を運んだ岩島も、かつてはその例外ではない。だが、貴重なその伝統生産技術を後世に残す目的で、昭和四十一年に「大麻保存協議会」が結成され、更に昭和五十二年には「岩島麻保存会」が発足している。

麻は播種して収穫に到る迄の日数は、その地方によって多少異なる。その生育の状態を知るために、私共は七月中旬にも此処岩島の耕作地の見学をしているが、岩島麻はおよそ百十日前後で収穫期を迎える。

四月初旬に播種し、八月初めに収穫された麻が精麻として仕上がるまでには、幾つかの工程を経なければならない。以下、手造りの精麻が出来るまでの順序を追ってみたい。

収穫後、根と葉を切り落とされた幹の部分が一定の長さに揃えられると、繊維を丈夫にする目的と害虫を殺すために、大きめな樽状の麻釜で、沸騰したお湯に二,三分程度浸ける。これを“麻煮”という。それを終えると、一週間から十日前後、天日に晒して干す。これが黄色く干しあがると、黴を防ぐために二度目の麻煮が行なわれる。この二度目の麻煮は“上げ湯”と云われているが、これを終えると再び天日で干す。それはその後、乾燥した場所に保管される。

収穫から約一ヵ月後、麻を発酵させ幹の皮を剥ぎ易くするための工程に移る。麻舟(おぶね)という横長の舟形の桶に水を張り、朝夕二回、これに浸してから取り出して横に寝かせ、菰などを掛けて熱が逃げないようにして蒸した状態にする。これは“ねど入れ”と言われている。この“ねど入り”をさせた麻は、二日目あたりから粘り気が生じる。これを取り出し、二,三本ないしは四,五本を束にして揃え、根本から十㌢程度の処を折り幹の皮を剥ぎ取る。これが“麻剥ぎ”。これを最終工程の“麻挽き”まで日陰に置いておく。この“麻剥ぎ”したものを麻挽き台の上に載せ、麻(お)掻きという道具で表皮を取り除く作業が“麻挽き”である。このように麻を挽くことで金色に仕上がるが、更にこれを竹竿に掛けて二,三日日陰干しにして精麻は完成する。

このようにして仕上がった精麻は、織物の原料としてその専門業者に渡される。神事の最初に行なわれるのは“修祓”という祓串による祓いだが、これには必ず麻が使われる。機械で仕上げられた麻に較べ、手造りの麻はその波動が何倍も違う。神職なら当然日本の土地で作られた手作りの麻を使うべきだ。

(奈良 泰秀  H16年9月)