エルサレムの岩のドーム

いつの間にか、聖と俗との領域が不確かとなり“宗教”の輪郭が見えにくくなって来ている。時代に合わせて送られるさまざまな情報で本質が拡散され、宗教が持つ本来の信仰と救済の焦点がはっきりしない。これからますます多様化するであろう宗教に求められるものは何か。

オウムのサリン事件以後、社会が宗教に対して持つ不信感は未だ払拭されていない。伝統宗教、新宗教を問わず、現在もその後遺症を引きずって活力を出せずにいる。

近年、異文明間対話が話題となっている。この“文明”の根底に宗教が存在していることに人々は気づき始めた。もはや誰もが宗教に無関心でいるときではない。われわれはいま、“宗教とは何か”を改めて考え直さなければならないときに居る。

イスラームが大衆レベルで認識されるようになったのは、そんなに遠いことではない。

終戦直後の48年に勃発し、その後四度に亘って引き起こされた中東戦争は、アラブ・イスラーム世界と建国間もないイスラエルとの戦争だったが、戦後復興に忙しい日本人にとっては遠い地域での戦争でしかなかった。イスラームという宗教が持つエネルギーを思い知らされたのは、79年、世界中に報道されたイラン革命ではなかったろうか。あれから四半世紀。科学が急速に発達し、交通と通信がより便利になり世界はより狭くなった。これでわれわれは否応なしにイスラームと向き合わなければならなくなった。

二年前の9・11テロに代表されるイスラーム原理主義運動過激派による破壊活動、パレスチナ問題、コソボ・ボスニアなどのバルカン紛争、チェチェン紛争、印度・パキスタン対立など、いま世界で起きている紛争や諸問題にはほぼイスラームが絡んでいる。われわれが今まで持っていた宗教という概念を変えたこのイスラームを抜きにして、明日の世界情勢は語れない。

かつて日本では神社とお寺、外来のキリスト教と教祖が唱えた新宗教が宗教として捉えられてきた。その日本が欧米のイスラーム観をそのまま輸入したことで、イスラームは武器を持って戦う危険な宗教というイメージが定着してしまった。

イスラームは三大宗教のなかで成立が最も新しい。国境・民族・言語を超えて現在も膨張し続けている。あと25年もすると、世界人口の三人に一人はイスラーム教徒になると言われている。日本の宗教が持つ“和”を尊ぶ土壌に、イスラームのような選択の余地無く服従を強いる一神教は確かに馴染まない。だが、この活力溢れる宗教が、日本に押し寄せてくる可能性は充分にある。それにどのように対応すべきか、答えを出さなければならない時期に来ている。

十年近く前、山梨県の石和町で身元不明の外国人が自分の首を刃物で切り自殺した。町役場は日本人同様に法の手続きに基づいて火葬に附したが、後にイラン人と判明した。通告を受けたイラン大使館は、町役場から遺骨を引き取ったあと遺体の取り扱いについて外務省に抗議をしたという。イスラーム教徒にとっては土葬が原則であり、火葬をしてはならない。コーランに地獄とは火が燃えるイメージで描写されている。イスラーム教徒が火で焼かれることは、地獄的な懲罰を与えられることにほかならない。

更に、死に際して魂は一度は肉体から離れるが、この世の終末の日に神の審判と救済を受けるため、再度生前の肉体と結び付いて復活する。火葬による肉体の消滅は、来るべき終末の神の審判と救済の否定となる。このように火葬を認めないイスラームは、また、われわれが行なうような先祖崇拝を原則的に禁じている。遺体は規定に従い右脇腹を下に、顔は正しくメッカに向け墓の中に収められる。これは神アッラーが下す審判を待つまでの、仮の眠りに就く姿でしかない。

この異宗教の死生観に対峙しなければならないときがそこまで来ている。

現在、日本の少子化が進むことで、国力の活性化と労働力の補充を図るため今後ますます海外からの移住者が増える筈だ。当然イスラームを信仰するひと達も来るだろう。まず宗教者がイスラームを理解し、世間に伝えていく義務があると思う。

(奈良 泰秀  H15年12月