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■ 宗教新聞 神道つれづれ ●52●
時折、社家ですか、なぜ神職になったのですか、どうして神道に興味を持ったのですか、といったことを訊かれる。だが私は、神社や宗教団体や神道などにはまったく無縁ところで育った。家業は荒くれ男が出入りする土建屋稼業だし、母方は水戸学の藤田東湖に繋がる家系だが、水戸の常磐神社の境内に東湖神社があるのを知っていた程度だ。少しは神道に就いて学び、収まるところに収まったのかと思えるようになったのも最近のことだ。 早熟とは思っていないが、学生結婚と相成る。長女の出産にはしゃぐ母親は、お宮参りに行かなければ駄目だと言い張り、気恥ずかしい思いで明治神宮へ行った。空手部に在籍して硬派を気取っていた大学三年生のときだ。お祓いを受ける際にはひたすら頭を下げ続けた。いまは子供が子供をつくったなどと笑いながら云えるが、当時はなぜこんな習慣があるのかのと恨めしく思った。 卒業して家業を手伝い、二年も経たず独立した。母校の営繕工事なども請負い、仕事は順調だった。高校時代、ワル仲間とつるんでいて謹慎処分を受けたりもしたが、文芸部の責任者を務めた。入学して直ぐ部の先輩が主宰していた「青銅文学」という同人雑誌に誘われ、短期間だが籍を置いた。 ここの例会に早稲田を中退して闘病生活をしていた寺山修司が時どき顔を出していた。彼はのちに演劇実験室「天井桟敷」を結成するが、縁あってその設立メンバーで演出を担当していた東由多加と出会う。東は天井桟敷を脱退して新たに劇団「東京キッドブラザース」を旗揚げし、アメリカ公演で成功を収めていた。日本での凱旋公演に続き、その翌年には余勢を駆ってヨーロッパ公演を行う。再度のヨーロッパ公演を企画していたときに出会った東は、その芝居の主役に、まだ小学六年生だった私の長女を起用したいと言ってきた。幼いことで多少の不安もあったが、小学校側が何ヵ月も長期に休ませることに難色を示した。何度も学校に通う羽目になる。教員資格を取得しているスタッフや役者がおり、彼らに学習させることで学校側は折れ、長女は旅立った。 三ヵ月ほどが経ち、様子を見にあとを追った。成田闘争で成田の開港が遅れ、まだ羽田が国際空港だった頃だ。途中で給油を繰り返す南回りの便は、ヨーロッパまで二十数時間が必要だった。エジプトのカイロ空港で荷物を持って飛行機から降ろされ、二列でターミナルまで歩かされた。何メートルおきかに銃を持った迷彩服の兵士が立ち、少し離れた装甲車の上の兵士がこちらに銃口を向け、引き金に指をかけている。飛行場のあちこちに土嚢が積まれ、鈍く光る機関銃が空を向いていた。以前、六日戦争といわれた戦闘で屈辱的敗北を喫したアラブ側が、イスラエルへの反撃時期を窺っていた第四次中東戦争前夜。本物の戦争が始まる前の、非常時の緊張感が肌に伝わってきた。 芝居はイギリス、フランス、ベルギーに続いてオランダで幕を上げたばかりだった。長女は舞台で英語の長いセリフをけな気に喋っていた。セリフをテープで何度も聴き耳で覚えたもの。休日に長女は街中を片言の英語で私を連れまわした。 オランダは旅行者に優しい。アムステルダムのダム広場には、長髪のヒッピーが各国から大勢集まっていた。Vサインを掲げるだけで誰もが友人になる。片言の英語で交わす会話でさまざまな情報を聞かされた。世界は広い。世界には知らないことがいっぱいある―。暇を見つけてはダム広場に通った。 芝居はいつも満員で幕がはねても観客がなかなか帰らず遅くまで話し込んでいた。或る日、日本に国際電話をいれ、こまごまと仕事の指示や送金を頼み、当分は日本に帰らないと告げる。東に、ひとりで旅に出ると伝えると、それもいいですね、きっと世界がかわりますよ、と笑顔で言った。 そして長女や劇団と別れ、暫らく滞在していたアムステルダムを離れ私の旅は始まった。 ナポレオンは「ピレネー山脈を越えるとアフリカが始まる」と言ったが、そこを越えてのヨーロッパの田舎といわれるスペインは過ごしやすい国だった。過去の栄光が生き、地方によって雰囲気がまったく変る太陽と情熱の国。空の碧さは息を飲むほど美しい。次の年に訪れたとき、あまり進んでいない工事現場で“ビバ・フランコ”などとペンキで書かれたバリケードが同じ場所に置かれていた。私には安堵感を与える国だ。 ピレネーの向こう側のフランスでは、お仕着せのパック旅行からは見えないフランス人が持つ中華思想や人種偏見を何度か味わった。フランスだけではないだろうが、かつて海外の何カ国もの植民地に君臨していた宗主国としての意識が、彼らにあるのかも知れない。 その何年か前、映画『アルジェの戦い』を観た。植民地支配に固執するフランスが、高まる独立運動の波に抗しきれず民族自決政策に傾く。その後の独立に到るまでの内戦状態の混乱を、冷徹なドキュメンタリー・タッチで再現した映画。間もなく舞台となったアルジェリアを訪れ、フランス語での教育を受けた世代が自国語の読み書きが出来ないことを知り衝撃を受けた。だが、支配者が自分達の言語を押し付けても、それはかたちの上のことだ。日本も戦前は朝鮮半島に朝鮮神宮を始め各地に神社を建て礼拝を強要した。それも憎悪の対象となり、終戦後に日を措かず焼き討ちに遭った。権威による強制で心は奪えない。心に生じたものは形に表れる。現在の私が車の両輪のように、“こころとかたち”のバランスにこだわって話しをするのも、旅の体験で得たものがあるからだ。 マドリッドは物価も安い。安いペンシオンは一晩三百円程度で泊まれた。贅沢を云わなければ食事を摂っても一日数百円で過ごせる。そのためか長く棲んでいる大勢の日本人が居た。なかには日本人に会っても決して日本語を話さない日本人がいた。外国人には卑屈で、日本人には尊大な態度をとる者もいた。なんの目標もなく怠惰に日を送る者もいた。こぎれいな服装をしているのに、なぜか貧しい感じのする者もいた―。…あれは、心が貧しかったのだ…。旅に出て、日本人だからこそ日本人を冷静に観察できることが判った。
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