TOP > 神籬・磐座とは
  

 古代の精神を受け継ぐ 
神籬磐境奉斎の聖地


   

神籬(ひもろぎ)磐境(いわさか)とは

太古の人々は、気象の動きや自然の移ろいに、神の存在を感じていました。万物に神々が宿ると信じ、神の力を戴き、神と共に暮らすことを願っていたのです。

  そして、神を招き、感謝と祈りを捧げる祭祀を執り行っておりました。それに答えて神が降臨(こうりん)される依代(よりしろ)が、磐境(いわさか)磐座(いわくら)であり、神籬(ひもろぎ)であり神奈備(かむなび)でした。神々は、祭祀の度ごとに降臨(こうりん)され、祭りが終わるとお帰りになられました。神聖とおもえる岩の点在している所や巨石、大きな樹木、森、山などを依代(よりしろ)として神が宿られたのです。そのほかにも丘、川、滝、海、島というような処にも神々がお降りになられたのですが、現在でも当時の祭祀の片鱗に触れることはできます。こうした磐境神籬(いわさかひもろぎ)は現在の神社の原形といわれています。

『日本書紀』にある高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)の『磐境神籬(いわさかひもろぎ)神勅(しんちょく)』によると、「自分は高天原で皇孫(すめみま)命の為に神籬(ひもろぎ)磐境(いわさか)起樹()てて、(いは)(まつ)るから、天児屋根命(あめのこやねのみこと)天太玉命(あめのふとたまのみこと)神籬(ひもろぎ)を捧げ持って地上に降りて、皇孫(すめみま)命の為に(いは)(まつ)れ。」とあります、これは古代に巨石・岩石を以って周囲を(かく)して神の降臨(こうりん)を願い祭祀を行なう磐境(いわさか)祭祀(さいし)と、榊や樹木をたてて、その周囲を青柴垣(あおふしがき)(青々とした潅木の垣根)で囲み、同じく神の降臨(こうりん)を願い祭祀を行なう神籬祭祀(ひもろぎさいし)があった事を語っています。


現在一般には、御神木や榊などの常緑樹に麻と紙垂を取り付けた神の依代(よりしろ)神籬(ひもろぎ)と言います。

そして磐境(いわさか)磐座(いわくら)岩座(いわくら)岩坐(いわくら)、といったものとの違いですが、磐境は岩石を組み合わせたもの、磐座や岩座は岩石単体、といった見方をする研究者もいますが、原則的に同じものと捉えて良いと思います。

   神籬式の祭壇の一例
神奈備(かむなび)とは

また、神奈備(かむなび)とは神の(なばり)場所という意味で、巨木や樹木が鬱蒼(うっそう)繁茂(はんも)した森林を神聖視した呼び方をします。森の他にも、川の淵や瀑布、洞窟や巨石のあるところ、断崖絶壁に隔てられた場合もありました。火山も神名火(かむなび)と呼ばれ信仰されていました。そうした大自然への畏敬の念が〝カムナビ〟という言葉になったのでしょう。なかでも、森林が最も普通であったと見えて、万葉集などを見ると、(もり)といえば神社を意味していました。

〝カムナビ〟は広い地域に亘ることもありました。神体山と言われるように山全体が神の鎮座地(ちんざち)として神聖視され、立ち入ることの許されない禁足地(きんそくち)となった例もあります。


  
大土山本宮(宗)天ノ岩座神宮
〒739-1102 広島県安芸高田市甲田町上小原大土山
Copyrightⓒ 2009 天ノ岩座神宮,All rights reserved