アルジェのカスバで(左・筆者)

マドリッドのバザールにはよく通った。ここでたまに、日焼けした精悍な日本人に出逢った。ブラック・アフリカやマグレブを廻って北アフリカ・モロッコ経由で来た連中だ。みな同じようにアラブで買った幅の広い革の帽子を被っている。心なしか目付きも鋭く感じられる彼らを見ると、ここでだらだらと日を送っている者たちが腑抜けに見えた。

モロッコへ行こう…。顔見知りになった日本人に声をかけて仲間を募り、地中海を隔てるジブラルタル海峡を渡った。

世界が変った。

夕方、フェリーで着いたタンジールの石段は、じめじめとして饐えた臭いがした。路上では癩を病んだひと達がボロで顔を隠し、うずくまっていた。フェリーの中で一緒に旅をしようと意気投合した二人連れのドイツ人は、たった二日で引き返した。数人の日本人も、異文明に馴染めず、一人ずつ戻っていった。

残った三人でマグレブの旅が始まった。洗ったジーンズがひと月で数㌢も縮んでしまう乾燥した大地。エキゾチックな街並み。寝袋を担いだヒッチハイクの旅には、通り一遍の観光旅行からは見えない情景が現れてきた。

真夏の灼熱の太陽の下で厚い毛皮を着ている女性がいる。我々は暑ければ脱ぐが、かの地では太陽の熱を遮断するために毛皮を着る。

現地で知り合った者たちに、目先の約束を何度破られたことか。また、会えば親しそうに肩を抱く彼ら―。言い訳はなく、いつも「イン・シャー・アッラー(神の思し召しのままに、もし神が望み給うなら)」。自分は約束を履行しようとしたが、神はそのように望まれなかった、と、それでいつもことは終わりだ。

りゅうとした身なりの紳士が、埃まみれの私に堂々と「金を呉れ」と手を突き出す不可解さ。いま自分は所持金が無い。あなたは持っているだろうから、有る者がない者に与えるのは当然だ、「イン・シャー・アッラー」。金持ちは与えるべし、の“喜捨”が宗教的義務であり、受け取る者の資格も決められていることを後で知った。“喜捨”は貧者にも旅人にも与えられる。イスラームでは私も堂々と手を差し出していいのだ。

当時はやっていた「マミーブルー」を口ずさむ青年がいた。一度一緒に口ずさむと、会うたびに共に口ずさむのを促し、大げさに抱擁して「イン・シャー・アッラー。俺とあんたは神の思し召しでこんなに仲良くなった…」。

安宿や寝袋の中で夜明け前の礼拝の時間を知らせるアザーンを毎日、毎日、聞かされる。どんな所でも人の住む所では拡声器から朗々と流れてくる。それに応え路上生活者がもぞもぞと起きだし、一斉に同じ方向に礼拝を始める。初めのころは、何か特別な日で礼拝するのかと思ったがそうではない。イスラームにとって毎日の礼拝は最も重要な義務だ。当然これも“神が望み給う”こと。

日本じゃこんなこと絶対しないよなぁ、とは、ひとり旅のアラブは物騒だからと、途中から我々に加わった日本人の同行者。路上生活者までもが持つ信仰のありようには、理解しがたい恐ろしささえ感じられた。あのときの恐ろしさは後年、彼らの自爆テロをもいとわない行為で知らされることになる。異郷で自問させられる「日本人とはなんだろう…」。

一日に口に入れたのが一リットルのコーラだけの日や、二十六時間、手を挙げ親指を突き立てても一台の車も停まってくれず、ひたすら歩き続けたことなど、苦労ではなかった。その先に未知の世界が拡がる期待のほうがずっと大きい。旅はいくつもの出会いと別れをつくってくれた。

興味本位で居ついた魔窟といわれるアルジェのカスバは、迷路のような坂道の多い町だったが、住みやすいところだった。そのころには旧市街(メディナ)の不潔さも、黄色く濁った飲料水も、気にならなくなっていた。

旅を重ねチェニスに辿り着いたころ、夏が過ぎようとしていた。地中海に沿ってリビアを抜け、エジプトのカイロまで行く計画は、チュニジアで頓挫した。その数年前、カダフィ大佐と将校団が起こしたクーデターで、国王を追放した隣国のリビアが、外国人の陸路での入国を禁止して国境を閉鎖していたのだ。

途中で旅に加わった相棒は、地中海に出る海路でエジプトに入国し、最終目的のタンザニアを目指すと云ってひとり旅立っていった。

東京で、また会おう…。

私はマドリッドからずっと一緒だった二人とローマに飛び、そこで別れ、彼らは語学研修を続ける、とイギリスに戻っていった。

緊張がほどけたように、テルミニ駅に近い安宿で幾日か眠りこけた。ただ旅をして来ただけなのに、自分が成長したように思えた。ヨーロッパのどこにでもある猥雑さがこのローマにも漂っている。街で見かける薄ら笑いを浮かべる日本人が、ひどく頼りなく見えた。

秋風が立つ日本に帰って来ると、以前の生活の感覚に戻るのに、かなりの日数を要した。家の天井の低さがしばらく気になった。赤茶けた岩肌や乾いた大地に比べ、山の木々や神社の森の緑が深い安らぎを与えるのを知った。

半年もたたないうちに、再びアラブを訪れた。昨年の旅仲間と二人連れである。冬も終わりかけ、夏とは景色が違うモロッコ。だが、そこに住む人は同じ生活をしていた。前よりも冷静に観察できるイスラーム世界。

アルジェリア・オラン駅を背景に(筆者)

「イン・シャー・アッラー」は、日本の「惟神」の「おのずから神の道がはたらいて、とか、神でおわすから」といったことと、なにか共通するのかな、と連れが言う。当時の私はただ首をひねるだけだった。

だが現在は多少の知識を得た。彼らの天地万物を創造した神は唯一絶対の存在。アッラー(神)以外に神はない。神は人間に対し限りない恵みと慈愛を与えるが、いずれ迎えるこの世界の終末には、厳格な裁きの審判をも下す。救済とともに懲罰をも最後の審判として下す神は、感謝とともに畏怖の信仰の対象となる。イスラームではまず神ありき、なのだ。

日本の神は強制をしない。日本の神についていえば、自分はどのように神を捉えるのか、で始まる。それは眼に見えない神を、人間がどのように感じるか、でもある。いまの私は、日本の神は自然や神社のなかで、人間の五感でその存在を感じることが出来る、と説く。当然なにも感じない人もいる。ときには日本の神は、反省を促すために怒りを示す。だが、日本の神は罰を与えない。神の罰は人がそれぞれやましさや悔悟を知るとき、己が感じるものだ。

二度目のアラブから帰ると、ヨーロッパもイスラーム世界も同じ異国と思えるようになった。日本を観る目が少し変ったとも感じた。

そして、日本人の心を考えるようにもなった。

(奈良 泰秀  H18年7月)