出口王仁三郎

国家権力に依る大本に対する二度に亘る宗教弾圧は苛酷なものだった。大正十年二月の、不敬罪並びに新聞紙法違反の罪名に依っての第一次大本事件には二百名の警官隊が動員され、第一審判決後には神殿が破壊された。更に十四年十ヵ月後の昭和十年十二月、第二次大本事件では、前回をはるかに上回る五百名もの武装警官隊が綾部と亀岡の大本本部を急襲した。罪名は治安維持法違反と不敬罪だが、これに依り出口王仁三郎と側近の幹部が検挙された。弾圧は地方の出先機関にも及び、その数は百ヵ所を超え、各地の多くの幹部も検束された。翌十一年には大本に対しての解散命令と建造物破壊命令が出され、裁判の判決を待たずに両聖地を始め、地方の関連施設の破壊が強行された。一説には聖地の月宮殿破壊には千五百本のダイナマイトが使用され、検挙された三千名を超える信徒のうち、拷問などで十六名が死亡したと云う。この弾圧は国家権力側に、大本が国家体制の中に、もうひとつの異質の体制を創ろうとしたものと映ったことにほかならない。王仁三郎に率いられた大本は壊滅的な打撃を受けたが、大本から派生し、その教義からの影響を反映させている教団は現在も数多い。

この王仁三郎によって、延喜式神名帳に記されたまま深い闇の中で永い年月を送った伊豆能売は現代に甦り、更に新たな神徳を持つ神・伊都能売として岡田茂吉へと継承される。前々回で少し述べたが、茂吉の霊的視点で捉えた伊都能売神は次のようなものであった。

当時、日本における最高の地位にあった伊都能売神は、朝鮮から渡って来た好戦的な素盞鳴尊に追われ、密かに日本を脱出し、中国を通ってインドへ落ちのびた。そこで伊都能売神は、化身仏・観自在(観世音)菩薩となり、この国の南海に近い余り高くない補陀恪迦山の山の上に安住しようとして新しい清い館を建てられた。此処で当時まだ善戝童子という御名の、のちの釈尊に教えを授ける。その卓抜せる教えに感激するとともに心機一転し、悉達太子(しったたいし)という皇太子の御位を放棄した釈尊は、紊れていた俗界を離れ檀特の山深く別け入り、菩提樹のもと石上に安座し、修行三昧に耽る。そして七年の修行を終え大覚者となった釈尊は出山し、釈迦となり仏法を説かれるようになった。故に“実際上仏法の本当の祖は、日本の伊都能売神であったことは確かである”と茂吉は感悟する。

余談だが私共では隔月でセミナーを開催している。五年程前に麗澤大の松本健一氏に講演をお願いし、「日本的カリスマの原像」と題して王仁三郎を語って頂いた。そこで松本氏は、時代が求めた王仁三郎の役割とそのカリスマ性を語り、大本が教祖づくりの教団といわれる理由を縷々述べられた。それは割愛するが、のちに「世界救世教」の源流となる「大日本観音会」を発足させた先の岡田茂吉は、大正九年に大本に入信している。そして昭和元年十二月のある夜、突然神懸りとなりその神示に依って自己の使命を悟る。更にその信仰体験のなかで神霊研究や治病に携わるうち、観音の守護神・金龍神が己れの守護神たるを知り、徐々に自らが人類救済の神業に専念する時の来るのを感得する。四、五年の空白期はあったが昭和九年、十四年間籍を置いた大本を離れる。のちに茂吉は、大本教は私を世に出すために現れた宗教であると断じたのである。

その三年前の昭和六年六月十五日、茂吉は啓示を受けて弟子と共に訪れた千葉県鋸山山頂に於いて、霊界での夜昼転換の事象を悟る。

今や霊界に於いては何千年か何万年かに来るべき夜昼の切替どきが来ている。この現界で起きることは霊界の移写であり、霊界に於ける世界とは、今日まで夜であった。夜の世界は現界と同様に暗く、定期的に月の光を見るのみ。月が光を隠せば星の光のみとなり、それが曇れば真の闇黒となる。これを移写せる現界の事象を見ても明らかで、“即ち今日までの世界、国々の治乱興亡の跡や、戦争と平和の交互に続く様相等は、丁度月が盈ちては虧(か)ける如くである。然るに天運循環して今将に昼に転換せんとし、丁度その黎明期に相当するのである。”と、夜の世界での闘争・飢餓・病苦に満ちた暗黒の時代から、平和・豊穣・健康等の具備する昼の世界、光明の時代に向かう転機の秋(とき)であることを覚った。これからは善悪転換、破壊と建設、旧文化と新文化の交代、旧文明の誤謬の是正と共に新文明の指針を示す昼の世界に差し掛かる。しかし、人類が永い間に堆積した罪穢れ、汚穢の一大掃除である大浄化作用が発生する。それ故“正しい神観を以って、今後人類の経験のない如何なる異常時や崩壊作用も、信仰に徹する者の特権として与えられたる安心立命の境地に住し、生を楽しみつつ時を待つべきである。”と茂吉は説いた。

ところで友人で作家の渡邊延朗氏は、一万数千年振りにフォトン(光子)で構成される直経四百光年を超える巨大な光の帯が、二千十二年十二月より二千年に渡って地球を覆うことで地球規模の大変革が起き、その後に新たな文明の世界が出現する、といった「フォトン・ベルト」の本を発表しているが、何か相通ずるものを感じるのは私だけだろうか。

茂吉の神相観により見出された伊都能売神は、いずれにも偏らない中道・中庸をまっとうするための働きを示す。“伊都能売の働きこそ、一切の根本的真理”であり、“小乗に非ず大乗に非ず、といって小乗であり、大乗であるという意味である。つまり極端に走らず、矢鱈に決めてしまわないことである。そうかといって決めるべきものは勿論決めなくてはならないが、その判別が難しいといえばいえる…。”この小乗とは経(たて)。大乗とは緯(よこ)。小乗は感情であり、大乗とは理性。“すなわち小乗と大乗を結べばその真ん中が伊都能売の働きとなる…”

基本は中道だが、中道と決めてしまわない。時として必要ならば右にでも左にでも、車の運転のように道路の状況に応じて障害物があればこれを避け、眼前に起きることに対応する。その時代の変化に合わせ、自在に対応するのが伊都能売の智慧なのだ。

伊都能売の働きは浄霊系・手かざし系教団の信徒たちに信奉されている。古事記から埋没し、霊的開眼により現代に甦った伊都能売神のための神社が建立されても良いのではないかと思うのだが、如何なものだろうか。

(奈良 泰秀  H16年11月)