柚子

 12月は、1年の締めくくりの月。日中の明るさも日に日に短くなり、寒さもだんだん厳しくなっていき冬を実感します。年の瀬に向かって慌(あわただ)しさが増していき、年末の大売出し、お歳暮、忘年会、クリスマスなどの行事も続きます。お正月を迎えるための「正月事始め」もあります。この日には正月の神の歳神(としがみ)を迎えるため、屋内や神棚の煤(すす)や埃(ほこり)の汚れを落とす「すす払い」を行ないます。そして山に入って門松や正月飾りの草木を採りにいく“松迎え”の習慣がありました。

 12月の旧暦名は誰もが知っている「師走」です。昔は各家で、その年内に知らずに犯してしまった罪障を懺悔(ざんげ)し、消滅を祈願するため僧侶を招く仏名会(ぶつみょうえ)という法会を営んでいました。平安末期の『奥義抄』に、「僧をむかへて経を読ませ、東西に馳(は)せ走るが故に、師走月といふ(略)」とあり、12月は師が走りまわる師走(しはし)り月が師走(しわす)になったとする説が一般的です。この師とは、伊勢の神宮始め著名な神社やお寺の、新しい暦や神札を配布し、新年の参詣の勧誘をして宿泊などの世話をする御師(おんし)(またはおし)のことを指すという説もあります。

 もともとこの“師走”は語源不詳とされておりますが、『日本書紀』に「十有二月(しはす)」、『万葉集』には「十二月(しわす)」とあり、古来、十二月の数字を表記して“しわす”と呼んでおりました。師走とは後世の当て字なのです。ほかに、1年の終わりの12月は万事を為(し)終えるので“為終(しわ)の月”、年が果てるので“年果(としは)つ月”、四時(四季)の1年が極まったので“四極月(しはつづき)”、などが“しわす”になったとする説があります。他の月名に、極月(ごくづき)、親子月(おやこづき)、春待月(はるまちづき)、臘月(ろうげつ)、茶月(さげつ)、三冬月(みふゆつき)、弟月(おとづき)、限月(かぎりのつき)、などがあります。

 さて「すす払い」の続きですが、「煤掃(すすは)き」とも「煤取(すすと)り節供(せっく)」とも云われたこの行事は古くから見られ、鎌倉時代の歴史書の『吾妻鏡(あずまかがみ)』や室町時代の公家日記『親長卿記(ちかながきょうき)』などにも記されています。すす払いには竹竿の先に藁(わら)や笹をくくり付けた「すす梵天」という道具を使いました。

 すす払いの後はこれを祭具として屋外に立てかけ、注連縄(しめなわ)を張ってご神酒や団子を供え、正月が過ぎて正月飾りと一緒に左義長(どんと焼き)のときに燃やします。

 囲炉裏(いろり)で薪(まき)や炭を燃やし、照明に油やローソクを使っていた時代とくらべて住居(すまい)の環境も良くなった昨今では、信仰的な行事のすす払いから年末の大掃除になりました。それでも年末には各地の寺社での、伝統的な儀式としてのすす払いを新聞やテレビで眼にします。現在ではお歳暮を早い時期から取り扱いますが、本来はこのすす払いを終え、歳神を迎える準備ができてから贈るものでした。正月には歳神とともに祖霊も迎えます。お歳暮は、嫁いだ女性や分家をした者たちが、正月に実家や本家で祀る祖霊に対しての供え物を届ける習慣が、いつの間にかお世話になったひとへの贈り物へと変わっていきました。品物には紅白の水引を蝶結びにして贈ります。

 12月には、北半球での太陽の高さが最も低くなり、一年中で夜が一番長くなる冬至があります。旧暦から新暦に変わっても、天体作用の冬至の日は変わりません。古代中国では冬至から新年が始まりました。太陽の力が最も弱まり万物が衰える冬至を、新たな復活の起点としたのです。西洋のクリスマスも「太陽が蘇る日」の冬至祭が起源と云われます。日本ではこの日に、ゆず湯に入りかぼちゃや小豆粥を食べ無病息災を祈ります。

 冬至は重要な意味を持つ日ですが、古くから伝わる宮中祭祀があります。「新嘗祭(にいなめさい)」と、その前日に行なわれる秘儀・「鎮魂祭(みたましづめのまつり)」です。

鎮魂祭を伝える石上神宮

 新嘗祭は天皇がその年の収穫を天地すべての神々に感謝し、新穀をすすめ自らも食するという最重要の祭儀です。明治6年に旧暦の11月をそのまま新暦に移し、日を23日に固定しました。旧暦で行なわれてきた新嘗祭は、伊勢神宮の天照大神に新穀を奉る神嘗祭の9月よりかなり遅く、霜月(11月)の2度目の卯の日と決まっていました。ちょうど冬至の頃です。その前日の寅の日の鎮魂祭は、奈良県天理市に鎮座する最も古い神社の石上神宮に祀られる宇摩志麻治命(うましまぢのみこと)が、神武天皇と皇后の長寿を祈り、十種瑞宝(とくさのみづのたから)を以って執り行なったことが起源とされます。

宮中で伝えられていた鎮魂祭は当日の夜、歌舞のあと、巫女がたらいに似た宇気槽(うきふね)を逆さまにしてその上に立ち、木製の鉾(ほこ)で“ひふみよいむなや……”という天の数歌を唱えながら10度槽(ふね)の底を突くという作法をします。これは天の岩戸の神話を反映しています。その度ごとに神官が柳筥(やないばこ)という箱の中の「御玉の緒」という糸を、合計10回結び箱に納めます。その間に女官が天皇のお召し物の収められている御衣筥(みそはこ)の蓋を取り、箱とともに中のご衣装を振動させます。

鉾で突くのは、天皇の衰えようとする御魂を呼びさまして活力の復活、糸結びは遊離しようとする御魂を身中に結んでの鎮め、御服の振動は御魂の躍動を促す、という意味をこめた古代の呪術的な神事なのです。日取りは変更されましたが、この鎮魂祭の儀式は新嘗祭とともに現在の皇室に引き継がれております。

このように神々への新穀の収穫感謝のため、天皇が代表して身を律する古代からの伝統神事には、日本人の神へ対する想いと精神性の奥深さがうかがわれます。

(奈良 泰秀 2009年12月)