大注連縄で有名な福岡県の宮地獄神社

 一月は、ふだんの月より多くの祭りや行事が見られます。地方に残る独特な祭りや風習は、日本の気候風土に合わせ、年月をかけて育まれて来ました。 

 日本は永い歴史を持つ国です。日本人の精神性や感性が形成された縄文時代を源流に、のちに中国や朝鮮から渡来して来た人たちが持ち込んだ文化が融合し、日本独自の信仰や習慣がうまれました。

 昔に較べると正月風景もさま変わりしておりますが、正月への想いは昔も今も一緒です。

 初詣は、最も盛んな正月行事です。古くは年籠りといって大晦日に神社やお寺にお籠りをしてから詣でる風習がありました。現在もお寺の除夜の鐘を聴いてから神社へ初詣をしますね。江戸時代には、その年の縁起のよい方角である恵方(えほう)に、吉方を掌(つかさど)る歳徳神(としとくじん)が鎮まるとされ、その方角の神社やお寺への“恵方詣で”が盛んでした。恵方や歳徳神の信仰は中国の陰陽道の影響に拠るものです。

 歳徳神とは別に、年の始めには、新しい年の豊かな実りをもたらす年神が訪れるという信仰が古くからあります。この年神が、いつの間にか歳徳神と同じ神とみられるようになりました。年神を祖霊の神とする地方もあります。お正月に家の内や外を清々(すがすが)しくして玄関や神棚を飾るのは、この年神を迎える祝賀のためのものです。門松は年神を家に迎える依(よ)り代(しろ)です。注連縄(しめなわ)は、俗界ではない神聖で清浄な場所を表します。家に張り巡らすのは、年神を祀る神聖な祭場である表示です。

 門松や注連縄の正月飾りや古いお札を、小正月の十四日の夜か十五日の朝、全国的に神社などで、どんと焼き、或いは左義長(さぎちょう)という行事で焚き上げるのはご存知でしょう。この火祭りは、迎えた歳徳神・年神を送るお祭りです。東北の宮城県内のどんと祭はとくに有名です。このご神火にあたると無病息災の一年間を送れるとされます。九州では独特な火焚き行事で、全域的に七日に行なわれます。

霊峰富士

 元朝の日の出前に、井戸や清流や泉から湧き出る水を汲む、若水(わかみず)という習慣も各地にあります。若水迎えとも言い、神聖な水として飲み、お雑煮に用いたりします。若水の歴史は古く、平安時代に宮中行事として立春の日の早朝に汲むものとされ、これを飲めば一年の邪気を祓い、心身ともに若返るといわれました。京都の日向大神宮では、元旦の午前三時から境内社の泉から若水を汲む若水祭があります。おなじような神事を行っている神社は多くみられます。かつて若水汲みは年男の重要な役目でした。地域によって若水を汲む際の呪文や作法が決められてもいました。水道が普及した現在では、水に対する意識も変わりました。先祖の、生活に欠かせない水への思いは大切にしたいものです。

 若水とおなじように年初めに欠かせない飲み物がお屠蘇です。これを飲めば一年の邪気が祓われ、長寿がかなうとされました。数種類の薬草を調合して赤い布袋に入れ、大晦日に井戸の中に沈めて水の毒性を取り去り、元旦にはそれを取り出し、お酒や味醂に漬けて飲むという習慣です。江戸時代の図解入りの百科事典『和漢三才図会』に、九世紀始めに唐の使節が嵯峨天皇に屠蘇百散という霊薬を献じ、天皇がこれを神酒に浸して宮中儀式に用いたと記されております。元々は中国の、蘇という悪い鬼を屠(ほふ)る、退治するという習慣からきています。

 それから、初夢で一年の吉凶を占うという風習もあります。すでに室町時代には、良い夢を見るために七福神の乗った宝船を枕の下に敷いて寝る習慣があったようです。知られている一富士、二鷹、三茄子は、九州の藩主の随筆集に、徳川家康が言い出したという記録があります。これは家康の好物とも、また初ナスの値の高さを言い表すため富士、愛鷹山、茄子と言ったともいわれます。一般に云われている、“無事(富士)に、こころざし高(鷹)き、事を成す(茄子)”の、解釈でよろしいのではないでしょうか。昔は除夜の夢を初夢としましたが、現在では二日の夜の夢が初夢とされます。

 お正月には、鏡もち、おせち料理、雑煮、七草粥などの食べ物、羽根つき、すごろく、百人一首、凧揚げなどの遊び、年賀状、書き初め、破魔矢、繭玉などの行事や風習がたくさんありますが、紙面の都合もありますので、別の機会にゆずります。

(奈良 泰秀 2009年1月)