菊 の 花

10月の月初めは、なが雨や台風があり、天候が不順で気温も変わりやすいのですが、中旬近くからは気候もよく、1年中で一番すごしやすい季節となります。食べ物も豊富で、澄んだ空の下でのハイキングや釣りやスポーツには絶好で、夜も長くなり読書も楽しめます。野山の木々が微かに色づきはじめ、柿や栗が実り、農家の庭先には菊の花が咲き、稲の収穫を祝う秋祭りの祭囃子(まつりばやし)が聞こえてきます。

10月の別名は神無月(かんなづき)、または、かみな月といいます。全国から八百万(やおよろず)の神々が、こぞって島根の出雲大社に行かれ、男女の縁を結ぶ相談や酒造り、農作の収穫や漁労など、むこう1年間のさまざまな神議(かむはか)りのため参集します。各地の神社の神が居なくなるので神無月といい、逆に出雲地方では神在月(かみありづき)と称されます。

それはもとより俗説で、神無月は宛(あ)て字です。出雲大社に属して各地を周り、出雲信仰の普及に努めていた下級神職の御師(おし・御祈祷師の略。伊勢の神宮では、おんし)が言い拡めたようです。元来、神無(かんな)の「な」は、「の」を意味することから“神の月”から転訛したという説が有力です。すなわち“神を祭る月”なのです。各地の神々が不在となる神無月の由来は、春に山から降りて来られた神が田の神となり、稲の収穫を見届けてまた山に帰る「神送り」と出雲信仰が習合し、山に帰るはずの神々が出雲に向かうという伝承になったのでしょう。神たちが出雲で縁結びの相談をするので、10月には縁談を避ける地方や、未婚の男女がお籠りをする風習の土地もあるようです。

そのほかに、新穀を使い酒を醸(かも)す醸成月(かもなしづき)、雷が鳴り収まり尽くした月で雷無月(かんなづき)、新嘗(にいなめ)祭を迎える準備の月の神嘗(かんなめ)月、などもかんな月の語源とされます。吉月(きちげつ)、初霜月、時雨月(しぐれづき)などの異名もあります。

神々が出雲に集まるので、その留守を護る神もおられます。恵比寿神、金毘羅神、竈(かまど)神、道祖神などが留守神とされています。体が不自由

出雲大社 拝殿

なので出雲まで行くのが困難、という言い伝えがある恵比寿神の名前は有名です。体が不自由なのは、恵比寿神がイザナギ・イザナミの子の蛭児命(ひるこのみこと)と結びつけられ、蛭児命が3歳になっても足が立たずに樟(くすのき)の舟に乗せられ、河に流し棄てられた故事に因(よ)ります。戎・夷・蛭子などとも書かれる恵比寿神の神格は多様で、大国主命の子の事代主命や、竈神や田の神と同一神とも見られます。

中世以降、七福神の一員として生業を守護し、福をもたらすと信じられた福神・エビス信仰は、海から陸へと拡がって伝えられてきました。漁業では豊漁と航海の守護神、農業での五穀豊穣、商業では商売繁盛の神として多くの人々の信仰を集めております。恵比寿神を祀った神社を中心に組織された講社も沢山あります。民間行事の恵比寿神を祭る恵比寿講は、地域により日程や内容もさまざまですが、商家が商売繁盛を祈念する10月の“二十日(はつか)恵比寿”は、1月の十日恵比寿とともによく知られています。

関東や東北では恵比寿神と同一神とされる竈神に1年間の無事を感謝し、収穫した農作物や魚を売る市が立ったりもします。同時期なので恵比寿講と混同され、関西で盛んなのが「誓文払(せいもんばら)い」です。日ごろ商売上の駆け引きでついた嘘や偽りの罪を祓い、神罰を免れるため神社に参拝し、神への謝罪と罪滅ぼしに品物を安価で販売する風習です。京都では誓文払いをえびす講と言うようです。

また、10月には宮中と伊勢の神宮で行なわれる神嘗祭(かんなめさい)があります。その年に収穫された新穀を天照大御神に奉るこの祭りは、かんにえのまつりとも言い、古来、践祚大嘗祭に次ぐ重議とされました。8世紀初めに編纂(へんさん)された法令集『養老令』の、神祇への国家祭祀を規定した「神祇令(じんぎりょう)」にも記されております。神嘗祭には8世紀初めから毎年、天皇より伊勢への奉幣使(ほうべいし)が遣わされて来ましたが、12世紀初めころから途絶え勝ちになり、15世紀後半の応仁の乱で中断してしまいます。そして江戸時代の17世紀中ころに復活し、明治の神宮と皇室の祭祀令で大祭と定められ、今日まで途切れることなく勅使の発遣が行なわれています。

装束や祭器具を一新する神嘗祭は神宮における年中行事最大の収穫の祭りで、農耕民族の象徴として国民にとっても、もっとも重要な意義のある祭りでした。古代より旧暦の9月17日に行なわれてきており、明治5年の改暦後に新暦でも同じ日に執行しましたが、これには新穀が間に合わず、明治12年からは1ヵ月遅れの10月17日になりました。終戦までは国を挙げての大祭日の休日で、国旗を掲揚し全国的に祝敬を表しました。戦後は国の祝祭日ではなくなりましたが、伊勢の地元では大祭(おおまつり)と呼び慣わされ、神宮の関係者はこの祭儀が終われないまで新穀を口にしないようです。

食欲の秋ですが、先人たちの米に対する想いを、いま一度、考えてみませんか。

(奈良 泰秀 2009年10月)