世界救世教いづのめ教団(熱海)

 私共の研究会が改称する前は「新宗教教祖研究会」と称した。神道系を中心とした教祖を研究するということで今から七年前に設立したが、当初、研究会の名称にしてはいささかいかがわしいと友人や周囲の者によく揶揄された。深く考えることもなく研究会の主旨をストレートに名称にしてしまったが、オウム事件の後遺症もあって、今さら新宗教の教祖に学ぶことなどでもあるまいと思われたらしい。

 この研究会を設立する前の数年間、私は母校の國學院大学へ戻って神道周辺のことを学んだ。そこで得た結論は、伝統に拠った“神主言挙げせず”で、積極的に発言しようとせず、麻(ぬさ)だけ振っていれば良いと言うような神社界からは、何も新しいものは生まれて来ないだろうということだった。停滞している伝統宗教としての神社界に、新宗教の活力を取り入れることは出来ないものか、といったことを模索して、神社での新しい祭りの創出、家庭での一人一社・神棚奉斎運動、神道葬祭をベースとした教団葬儀、といった幾つかの提言を行なって来た。紙面の関係でこれには触れないが、機会があればいずれこの事に就いて述べたい。

 当時の私のコメントを紹介してくれた新聞記事で次のようなのがある。

 (略)“― 明治以降の宗教界の変革者たち、いわゆる「新宗教」の教祖と呼ばれる先人を中心にわき起こった、あの布教へのエネルギーとパワー。その源泉をたどり、教えの原点を捉え直すことで、活力を失った現代宗教界に元気と自信を取り戻すことができるのでは ―。”(略)“今更ながら強く知り得たこと。それは、教祖らの胸中には、病・貧・爭の根絶とか、人々の心の平穏とか、そして伝統文化を大切にしながら新しい価値を創造していくなど、稀有で壮大な使命感が煮えたぎっていたという事実でした”(略)

 時には迫害を受けながらも熱い思いで声を上げ、世のため人のためにと立ち上がった新宗教の教祖たちは、伝統宗教から多くのことの学び独自の神観を得ている。『日本書紀』や『古事記』といった神典に顕われている神やまったく世間に知られていなかった神を自らの霊的ビジョンで捉え、新しい神格を与えたりもしている。

 そして時代が求める新宗教の膨張するエネルギーは、時として分派独立の派生を見る。

 明治三十二年に稲荷講社の一分会からスタートし、幾多の変遷のあと巨大教団に変貌していく大本教は、国家による二度にわたる大弾圧の混乱のなかで多くのひと達に影響を与え、数多くの分派教団を世に出した。私が師事した先々代宮司は、霊相道の宇佐美景堂師と交流があり、伝授された数霊学などを教わったものだが、この宇佐美師が大本に深く関わっていたことを知ったのは、だいぶ後になってからである。このように身近な者が繋がるように、大本の人脈は多岐に亘る。以前この欄で紹介したが神政龍神会を興した海軍大佐・矢野祐太郎、神道天行居の友清歓眞、心霊科学研究会の浅野和三郎、至恩郷・岡本天明を始め、大教団となった生長の家・谷口雅春、同じく世界救世教の創始者・岡田茂吉、三五(あなない)教・中野与之助、璽宇・峰村教平等々、その活動を引き継いだ後継者達は現在も教勢を拡大させている。

 更に、これらの教団からの分派した教団も数多い。独自の神想観と、住吉大神を宇宙浄化の神・護国の神霊とする生長の家からは、ピースポール「世界人類が平和でありますように」で知られる白光真宏会が独立した。浄霊手かざし系の総本山とも謂うべき世界救世教になると実に数が多い。分派教団から更に分派した教団まで数えると、その数は四十とも五十教団とも云われており、それらの信徒数の全てを合わせると五百万人を超えると云う。救世教からの主な分派教団としては既に中堅教団となった晴明教、救世主教、救世真教、救いの光教団を始め、世界浄霊会、みろく神教、大夲光之道、慈永堂などのほか、現在伸長中の天聖真美会、“幸せと健康について”を街頭で語りかけ、教勢を伸張させた神慈秀明会、救世神教とその分派・光明みろく会、真光系元祖の世界真光文明教団、更にそこから分派して大教団の地位を築いた崇教真光・神幽現救世真光文明教団・ス光光波世界神団など、枚挙にいとまがない。

 教祖研究での繋がりや、教団関係者が古神道講座を受講することで依頼されて幾つかの教団の職員教育、教義・布教のコンサルタント的な役割、顧問役といったことを引き受けているが、この世界救世教とは、研究会設立以前から関わりを持たせて頂いている。救世教は、内部紛争の一時期があり既に終息しているが、現在は、内部に三教団が併立している。それは、いづのめ教団、東方之光、主之光教団の三教団。余談になるが、私はこのいづのめ教団の祭典部に月に三回ほど伺っている。そこで大学で習った祭事の行事作法、神典や神社神道の知識などと、救世教の神観や神示に就いての情報交換なども行なっている。

 いづのめ教団の“いづのめ”の由来に就いては、『古事記』のただ一ヵ所に登場する伊豆能賣という神に辿り着く。

 このいづのめは、大本の出口王仁三郎の伊豆能売観を経て世界救世教教祖・岡田茂吉の霊示に依り、新たな神相観と働きを持つ伊豆能売が現出する。その霊的ビジョンに依れば日本古来の神々が印度に渡航して化身仏となる。その最高位におられたのが伊豆能売神であり、この伊豆能売神とは、実は観世音菩薩であると云う。岡田茂吉は自分の考察として本地垂迹を、本地とは本元の国日本であり、垂迹とは教えを垂れることとする。“すなわち最後に至って、故郷である日本全土に、一度仏の教えを垂れるとともに、仏華を咲かせ、実を生らせなければならないという蜜意である。”つまり、従来の本地垂迹説をまったく逆の視点で、日本の神の本地が印度の仏であったと云う捉え方をしている。

 その頃、日本は伊豆能売神皇が統治していた。だが、素盞鳴尊を中心とする神々が朝鮮から渡来し、その地位を狙い圧迫して来た。これに応諾しないための威圧や迫害が生命の危機にも及び、日本を逃れ、中国を通って伊豆能売神は印度に落ち延びる。