にっぽん文明研究所の大祓え

 前回、上代においての大祓えは、天皇の命により社会万民のため国家的行事として行なわれていたと述べた。

 現在の大祓えは、毎年、六月と十二月の晦日に全国の神社で執り行なわれている。だが、これを見るに、上代のピュアな精神を伝えているとは言い難い。いまのような大祓えは、明治四年(1871)六月、明治天皇の意向を反映させて、それまで衰退していた旧儀を再興させ賢所の前庭で執り行われた。翌五年には全国神社での恒例行事の布告が出され、現在に到っている。

 国家的儀礼としての大祓えは平安末期頃から衰えを見せていたが、中世にはいり、十一年も続いた応仁の乱(1467)以後の戦乱のなかで中絶していた。しかし、六月の大祓えのみは、朝廷の儀礼から倣ったかたちで民間に伝えられ、名越祓え、夏越の祓え、水無月祓え、などと称され、芽の輪くぐりの習俗などともなって命脈を保って来ていた。地方によっては暑熱悪疫を祓う夏祭りなどに転化しているところもある。明治維新後の時の政府は、国が管理する国家神道形成の過程で、大祓えを四百年の時を超えて復活させた。だが、人間が神の怒りを買う穢れを発生させた罪を謝罪し、これを消去させるという意味を持つ大祓えが、今日の大祓えからは、単なる形骸化したものとしか写らない。

 この大祓が制度として定められていたことは、文武天皇の大宝元年(701)に成立した大宝令に見える。そしてその起源となると、遥か神代に遡る。

 『日本書紀』(巻一・神代上)に、天照大神の天の磐戸隠れを招いた素戔鳴尊が、犯した罪を償うための解除(はらへ)(刑罰としての贖物)を科され、さらにその罪を祓うために手足の爪を抜かれ、高天原を追放される。代償物を提供して罪を免れる贖物(あがないもの)による祓えは、この素戔鳴尊の故事にはじまると言われている。現在では行われていないが、そこに、「及(すなは))ち天兒屋命(あめのこやねのみこと)をして其の解除(はらへ)の太諄辭(ふとのりと)を掌(つかさど)りて宣(の)らしむ」とある。この天兒屋命が奏上した解除の太諄辭が、『大祓詞』の原型とされている。

 大祓えとは“百官以下、天下万民の罪穢れを祓い除き、それを清浄にするための儀式”と捉えられて来ている。『神道大辞典』や『国史大辞典』にもそのように記述され、神職はじめ一般的にはそのように思われている。しかし大祓えとは“罪穢れ”を祓うのではなく、発生した“穢れ”に依って生ずる神に対しての“罪”を祓う、という説がある。「大祓の儀式の際に唱えられる『大祓詞』には、罪という語句が繰り返し出てくるが、穢れという語句は一度も現れない。“祓え”や“大祓え”は専ら“罪”を対象としたことは明らかである」(青木紀元「祝詞古伝承の研究」)とする見方だ。“穢れ”を直接祓うのではなく、人間や家畜の死穢、喰入、火事などの突発的・偶発的に発生した穢れにより、前以って決められている神に対してのさまざまな諸祭や、其処への奉幣を延引または停止させた罪、謂わば人間が神と関わる秩序を乱した罪、さらにはそのような秩序を乱したことで、神により与えられる天変地異、飢饉、疫病などの災いを防ぐために、人間が犯した罪を謝罪し、その消去のために大祓えがある、と言う意見だ。

 その捉え方に異論はない。

 人間の神に対しての潜在的な罪は常に存在している。そして、まだ顕在化していない罪をも浄化しておかなければ、いつ神の怒りに触れ、災禍として振りかかってくるか分らない。大祓えは、起きてしまった災禍はその根源となっている黄泉国へと祓い去らせ、神と人間との秩序関係を再確認し、規則正しい平穏な天運循環を願うために、夏と冬への季節の変わり目の六月と十二月晦日に恒例として執行されて来た。現在の大祓えは、暑さ寒さに向かう時期に体調を崩して病気や事故・災いが起きることを退け、知らず謀らずに犯した罪や過ち、心身の穢れを祓い清めるといった、個人にウエイトがおかれた神事となっている。学生時代にその謦咳に接した小野祖教博士は、古稀記念論文集(非売品)の『祓と祓の神との神学』のなかで、神道は、原罪の罪の深さ、本有に近い罪性を説くキリスト教や、重々の業のおそろしさ説く仏教ともちがった信仰がある、と述べている。神道は楽天的で、且つ積極的で「祓」によって解決し得ない場合はないという確信に貫かれている。だが、祓えの必要を生ぜしめるもの、罪・穢れ・災いに関する神の思想は非常に混乱し、複雑で、混乱しているもの、誤っているものが過去に信仰として生きていて、その時代の神道はそれで動いた、と神道の曖昧性と時代に沿って変容することを指摘されている。

 かつて大祓えは、恒例のほか臨時にも行われていた。さきに言ったような人間の穢れによって神により引き起こされた天災や悪疫、異変などの罪の消去のために行なわれる場合と、それらには直接関係のない天皇の崩御、大嘗祭、斎宮や斎院の卜定の儀式、内裏の造営、行幸といった場合にも行なわれた。それは重大な儀式に際して、神に対しの罪を事前に予備的に排除し神との宥和を図り、儀式が滞ることがないようにという意味が含まれる。

 私共の研究会で隔月に開催するセミナーに、二度ほど講師をお願いした島田裕巳氏と何度か神道に就いて語り合ったことがある。“神社には本当に神は居るのでしょうかね。”と島田氏は云う。仏教伝来後、神社が建立されるようになり、それまで磐境神籬に降臨していた神々は其処に鎮座するようになった。我が国には八百万(やおよろず)の神々が居られる。果たして、神社に坐することをすべての神は望んだのか。神は神社に居られることを満足してお働きになるのか。いまの神社には真摯な祈りがないように思う、と島田氏は続ける。そして、明治政府によって六月・十二月の大祓えは復活したが、まったく行なわれることの無くなった臨時の大祓えに就いても、もう一度再興させるべきだと云う。まったく同感である。単独でも良いだろうが、神社をはじめ、教派系、神道系新宗教など心ある神道関係者が、日を決めて、いっせいに大祓えの儀式を行なうことを考えても良いのではないだろうか。氏は云う。“まずは建国記念日からでしょう”

(奈良 泰秀  H17年2月)