中臣祓の冒頭

 現在、六月・十二月に恒例となっている大祓えを、古儀に復して臨時にも行うべきではないか、と前回述べた。この大祓式の際に宣読されるのが『大祓詞(おおはらへのことば)』である。この作者は不明だが、宮中祭祀を掌る中臣氏が大祓詞の宣読を代々受け継いで来たことで、中臣氏の祖先の天兒屋命の作とも言われている。私は大祓詞の持つ意義を、もっと世に伝えるべきだと思っている。

 私どもの古神道講座には教派系や諸教系の教団関係者も受講しているが、同じような質問をされることがある。大祓詞のなかの中段にある「天津祝詞の太祝詞事を宣れ」に就いてである。一般神社は別だが、大祓詞を教派系の大本系教団などでは『神言』と称しており、太祝詞事に就いても独自の解釈がなされているようだ。だが、あとで述べるが、この大祓詞は、混乱したかたちで現在の我われに伝えられている。

 十年ほど前、神田の古書店街に立ち寄った際、神道系の教団で修用されているという「大祓詞の“天津祝詞乃太祝詞”」を羅列し、それらに解説を加えた一冊の古びた本を見つけた。なかには“このような唱え方をするところもあるのか”といった興味を引く記述もあったが、高額な値段を見てもとの書棚に戻してしまった。暫らくしてやはり買い求めようと思い同じ店に出向いたが、既に書棚には見当たらない。店員に聞いても解らず、その後も何度か足を運んだが結局買うことは出来ず、今でも残念に思っている。

 数年前まで母校の國學院に戻って足掛け六年半ほど神道関連の勉強をしたことがあるが、ある教授が大祓詞研究の講義のなかで、「天津祝詞の太祝詞事」というのは、

①「大祓の詞の一部、もしくは全部を指すという説」と、

②「別に、神代以来伝えてきた祝詞があるという説」

という二項を提示した。天津祝詞の太祝詞事に就いて考えられるとは、当然、この①か②しかない。(専門的になるが、大祓詞の中の“天津金木から八針に取辟きて”までを太祝詞とする少数意見もある)そして以前から言われていることだが、①を支持する拠りどころとして、賀茂真淵『祝詞考』と本居宣長の『大祓詞後釈』が挙げられている。②に就いては、後述したい。

 もとよりこの「天津祝詞の太祝詞」という詞(ことば)は、平安初期に成立した延喜式(巻第八・神祇八)に採録され、現存している最も古い祝詞の、二十七篇のなかの、五篇に記されている。それは

  (一)六月・十二月晦大祓

  (二)鎮火祭(ひしづめのまつり)

  (三)道饗祭(みちあへのまつり)

  (四)伊勢大神宮 六月・十二月 月次祭

  (五)同(おなじく)神嘗祭(かむにへのまつり)

の、五篇の祝詞である。

 このうち(一)を除いた四篇は、「神道の基礎知識と基礎問題」を著した神道神学の泰斗・小野祖教博士は、“文章の全体が天津祝詞の太祝詞である事は明らかであって議論の余地がない”としている。

 更に小野博士は、(一)についても“大祓詞については、その文章の関係から学者の間に説があり、特殊の呪詞が別にあるかに伝へ或は考へてゐるものがある。前記四例(二~五)の明徴によって、天津祝詞の詞型は明らかであり、世上伝えられてゐるやうな呪言形ではあり得ない”と云われ、大祓詞の全文が天津祝詞の太祝詞であるとした①の根拠となる本居宣長の説が最も妥当な解釈だと述べている。

 小野博士は神道辞典でも「天津祝詞の太祝詞」欄を担当され、それを特殊のものと思っている者が多いが、それは大祓詞のみから考えようとするために陥った盲点だとし、“大祓詞の「天津祝詞乃太祝詞事乎宣礼。如此久乃良波」という件(くだり)は、文法上直結していて、ここに省略はない。この間、声を絶ったり、別辞を挿入する説は、学問上とるべき根拠がない”と、ここでも秘詞・秘咒の類いの存在説を明快に否定されている。

 あまり理解されていないが、延喜式に記載された大祓詞の形態を変えたものに、中臣祓詞・中臣祭文がある。小野博士はこれを捉え、“広くこれを唱へるが、それは(延喜)式の大祓詞を若干改作したもので、宣命体を奏上体にしたり、「天つ祝詞の太祝詞事を宣れ」「かく宣らば」の間を区切ったりして、原義を失してゐるところがある。然し、世上広く用いられ、種々の変形も生じた―”とし、“この場合は、別に天津祝詞を伝へてゐたと見た方が良い”と、中臣祓詞・中臣祭文には、天津祝詞が中臣氏の家伝の秘咒として奏上されていただろうと云うことは認めておられる。

 奏上体とは神に向かい直接申し上げる祝詞のことである。宣命体とは、天皇の仰せを、集合している皇族以下百官に宣(の)べ聞かせるもの(この場合宣下体とも)と、神を祀る祝部や神主に申し聞かせて神に奏上させるといった、間接的に宣べ伝えるものとがある。

 延喜式に記されているのは宣命体としての大祓詞だが、小野博士が指摘されるように参集した人々に宣(の)べ聞かせる部分を省いてしまい、神へ直接申し上げる奏上体に変えてしまったのが中臣祓詞・中臣祭文である。これはそのほかにも若干の改竄をされているが、明治以降、現在に至るまで一般的に奉唱されている大祓詞は、延喜式に著された大祓詞と中臣祓詞とが混同されているものなのだ。

 さて、②の「別に、神代以来伝えてきた祝詞があるという説」だが、延喜式の大祓詞には、学問上とるべき根拠がない、と小野博士は歯牙にもかけず、“これにふれた注解は多いが、学的研究を尽くしたものは殆んどない”と断言している。教団関係者が興味を持つものや神田の古書で見たのは、当然、中臣祓詞に於いての天津祝詞の太祝詞である。だが、延喜式の大祓詞には、果たしてそれは無かったのか。國學院高校の二年間、古典の教えを受け、大学で神職養成講座の際に祝詞の講義をしていただいた、伊勢の社家ご出身の御巫(みかんなぎ)清勇先生は、これをまったく違った視点から捉えている。

(奈良 泰秀  H17年3月)