大和 石上神宮

 前回触れた鈴木重胤は尊皇愛国の国学者といわれ、その研究は現代の神道学者にも評価されて信奉者も多い。『祝詞講義』『延喜式祝詞講義』『日本書紀傳』などを著している。

 重胤は本居宣長の学風を慕い、宣長没後の門人・平田篤胤の門下生、宣長からみれば孫弟子にあたる大国隆正に入門している。篤胤にも書信で教えを乞うているが、篤胤の『古史成文』に疑義を感じ、筆禍で江戸払いとなり郷里に追放されていた篤胤を秋田に訪ねるが、既に病没。その墓前で弟子となっている。

 この重胤は師の大国隆正が唱えたのと同様に、「吐普加身依身多女(とほかみえみため)・寒言神尊利根陀見(かんごんしんそんりこんだけん)・祓(はら)ひ玉(たま)ひ清(きよ)め給(たま)ふ」が天津祝詞の太祝詞だとしている。これは「三種(さんじゅ)の祓」、吉田神道では「三種大祓」と言われている。吐普加身依身多女の文字は、朝議典礼に通じた平安期の大江匡房の『江家次第』に見える。この八文字に意味を持たせ、それに神託を亀卜に拠っている。神の御心がここにあるというのだ。

 寒言神尊利根陀見というのは八卦でいう天地の万物を示す。地上の北・北東・東・南東・南・南西・西・北西の八方位を表し、また、天・地・火・水・山・沢・風・雷といった八つの元素を表すことで、国土の具現化したものと捉えている。そして「吐普加身依身多女」は天津祓、「寒言神尊利根陀見」は国津祓、「祓(はら)ひ玉(たま)ひ清(きよ)め給(たま)ふ」は蒼生(あおくさ)祓とも言われ、これが三種の祓の由来とされる。蒼生とは人民のことだが、のちに寒言神尊利根陀見が削除され「吐普加身依身多女」を三回繰り返し、これに「祓(はら)ひ玉(たま)ひ清(きよ)め給(たま)ふ」を唱える「三種の祓詞」にも変容し、これも篤胤の天津祝詞と同様に世上に広められている。だが天津祝詞とは意味あいが違い、天津祝詞が詞(ことば)としての能力を発揮しているのに対し、これは短文であるためか、呪文的な秘咒・神呪(かじり)といったニュアンスで機能しているように思う。

 また、伯家神道の流れを汲む教派系、禊教及びその分派教団でも“とほかみ えみため”を重要な神呪としている。八百年以上に亘って宮中祭祀の行事作法を伝えて来た神祇伯制度は明治で廃絶するが、これを掌ってきた白川伯王家に伝承された秘辞だという。この系統の皇教(現すめら教)教祖の鬼倉足日公は「それ(天津祝詞の太祝詞)は確かに『トホ・カミ・エミ・タメ』の八音であり、煎じ詰めれば五音であると謂うことが、明瞭になっており、(略)伯家の允許を得た人々が、斎員となり大祓詞を奏上する場合には、これを黙唱することが許されている」と述べている。

 この「吐普加身依身多女」のほかにも太祝詞事説はいくつかある。近代の国学者・今泉定助翁が神宮奉斎会長当時、昭和十一年から十二年にかけ大倉精神文化研究所主催の講習会で『大祓講義』を行っているが、ここで定助翁は、「トホカミエミタメ」ではなく「一(ひー)二(ふー)三(み)四(よ)五(い)六(む)七(な)八(や)九(こ)十(と)」であろうと言われている。これは「ひふみの祓」とも言われ、これもまた伯家神道に伝えられたものだ。定助翁は、一は火、二は風、三は水、四は地、五六は穢れを忌むの意、七八は祓い除く、九十は「言(こと)」、即ち神勅を意味し、一から十まで唱えることは天皇の御壽の無窮、つまり聖壽萬歳をお祈りすることだ、と言われている。あとで触れるが、鎮魂詞で名高い石上神宮でも「ひふみの祓」は奉唱されている。

 この定助翁説だが、前にも伝えた神社本庁の岡田米夫先生は『大祓詞の解釈と信仰』で、ひとつの小さなミスを犯している。岡田先生は「今泉定助先生が大祓詞を解釈したものによりますと、天津祝詞の太祝詞事というのは、“天皇陛下万歳”をいうのだと申しています。」そして天照大御神が天孫に下されたお言葉は、皇室の万世一系を祝福された言葉だから、これが祖神の御心であるとするなら、間違いとは言えない、と述べている。

国学者 水谷 清

 だが、これは誤りだ。“天皇陛下万歳”説を唱えたのは今泉定助翁ではなく、言霊学の大石凝真素美翁の門弟・水谷清先生が唱えたものだ。昭和十年十二月より行ったラジオ放送の朝の修養番組『大祓講話』で、天津祝詞の太祝詞について「大祓の真髄から見れば、直に其は必然“天皇陛下万歳”と唱へるに決ってゐます」とし、併し“天皇陛下万歳”は漢語で、大和言葉で正しく申せば、天皇はスメラミコトであり、三種神器を以て荘厳され給う、タカアマハラ表現のミコト在す故に「“スメ・タカアマハラ・ミコト”と唱えまつるべきです。」と講話されている。これを聞かれた定助翁が先のご自身の講義で「(太祝詞事について)最近、水谷清といふ人は、天皇陛下万歳と云ふ事を云はなければならぬと云っておりますが、それも宜しい」と語られたのだ。

 以前このコラムで先代舊事本紀を取り上げた折り、舊事紀研究に生涯を賭けて来られた大野七三先生から何度かお手紙と資料を頂いたが、その中に石上神宮の神拝詞も同封されていた。神拝詞奉読のあとに「一二三四五六七八九十 布瑠部由良由良止布瑠部(ふるべゆらゆらとふるべ)」とある。いわゆる「ひふみの祓」だが、これを天津祝詞の太祝詞事とする説も多い。同じく天孫降臨の際の神呪で、言霊の根本の玄義に関わると言われる清音四十七声で構成される「ひふみ祓詞」または「ひふみの神歌」と称されものもある。“ひふみよいむなやこと もちろなね しきるゆゐつわぬそお たわくめか うをえにさりへてのます あせゑほれけ”の四十七音を言う。“トホカミエミタメ”も“ひふみ”も様ざまな呼び方で現在に伝わって来ている。

 それと、神仙道を源流とする「十言(とごと)の神呪(かじり)」もある。アマテラスオホミカミの十言を言霊のエッセンスとして捉え、これを繰り返し奉唱することで相応の通神を感得するもの。私共でもこの“十言(とごと)の神呪(かじり)”を執り入れている。

 このほかに伊勢の神宮に伝わる「一切成就の祓」説や、孝明天皇にご進講申し上げた六人部是香(むとべのよしか)の説などもあるが、割愛する。

 このように大祓詞に太祝詞事などは無かった、いやあったが伝わっていない、当然存在してそれはこのような説だ、といったことが神道学者や祝詞の研究者の間で喧々諤々言われて来た。先の今泉定助翁が言われている。

 「必ず何か気分を表す言葉を發しなければ止(や)まないのであり、(略)其の境地は全く主観的な神秘的な問題で、行事の上から考へないと解らない事であります」行事の上から…。全くその通りだ。次号からは元伊勢に移りたい。

(奈良 泰秀  H17年5月)