現在の神宮司庁

 前回に続き、伊勢神道とその教典とされる神道五部書の偽書性についてだが、五部書偽書説の急先鋒に立った江戸中期の神道家・吉見幸和は、『五部書説辨』で綿密な考証主義を貫く姿勢でそれを実証した。これに世評は高い評価を与えている。本居宣長は序文に自ら名を付している。幸和は

 「乱世ノ時ハ五部書ノ如キ偽書ヲモ疑フ者無ク、(略) 今ヤ泰平久ク文化開ケ、我済ガ如キ者スラ之ヲ信ジズ。故ニ者流ノ輩モ学才アル者ハ恥シク思ラメ。」乱世の時代ならば五部書のような偽書をも疑う者は居ないが、天下が治まり泰平の世が続けば学問も興り、私如き者すら信じず学識のある者が信じることなど恥ずかしいと思え、と散々な言いようなのだ。

 先の小野祖教博士だが、伊勢神道を、神仏習合、或いは神儒一致というような“複合文化時代の神道”の後期に現われてきた“自主覚醒的神道”と捉え、その魁となったことに一定の評価を与えてはいる。五部書ついては前回述べたとおりだが、それらの書の教説は、仏・老・荘その他からの借りもので、“神学的には幼稚な技巧のものではあるが、祭儀中心の神道に哲学的倫理を加えようとした事は興味あるもの”、としている。

 だが幸和の活動していた江戸の中期は、考証主義に徹するあまり、偽書狩り的な時期でもあったようだ。

 国学者で有職故実家の多田義俊は、南嶺として浮世絵草紙作家としても有名だが、『神学在疑録』で初めて世に古事記の序文偽書説を掲げ、疑問を提している。義俊は更に『舊事紀偽撰考』(舊事紀偽書明證考ともいう)を発表し、伊勢神道や吉田神道で、記紀と共に神道三部本書に数えられて尊重されてきた先代舊事本紀(十巻本)をも偽書として糾弾している。

 それまで神書とされ、記紀にはない古伝承を記した舊事紀が偽書として葬られるのは、これより半世紀前に、この舊事紀をベースとして『神代皇代大成教』(先代舊事本紀大成経・七二巻本) が出版されたことに起因する。

 そのあたりのことは、このコラムの第9回『「先代舊事本紀」の再検証』で書いており、詳しいことは省くが、伊勢神宮の主体性にも関わるこの大成経の出現は、偽書狩りブームに火を付けたといえる。義俊と同じく有職故実家として知られ、吉田・両部・垂加などの神道を排斥していた伊勢貞丈、本居宣長、平田篤胤ほか多くの学者が大成経偽書説を声高に叫んだ。なかには垂加神道を興した山崎闇齋のように、真正の書として擁護する者も現われるが、結局、当時の知識人に短期間で大きな影響を与えた大成経は、幕府によって発禁処分となり関係者は処罰された。

 その大成経刊行の九年ほど前の寬文十年(一六七〇)、水戸藩の今井有順(桐軒)という学者が『三部本書辨』を著し、オリジナルともいうべき舊事紀十巻本への疑惑を世間に問う。そして亜流の大成経の大騒動で、これが一挙に舊事紀へも偽書説が飛び火した。国学者で多くの貴重な研究書を残している橘守部などは『舊事紀直日(なおび)』で、信ずるに足る古伝も含まれていることを挙げ、一概に排斥することを戒め弁護に努めるが、如何せん先の幸和や、大家として名の通った貞丈の『舊事本紀剥偽』『神道獨語』などで、偽書説は定着してしまう。その見方は現在に受け継がれている。

 実際のところ先代舊事本紀の正確な成立は、他の書への引用などからみて弘仁十四年(八二三)から元慶七年(八八四)までの、平安初期の六十年間のいつかとされる。つまり、古事記・日本書紀・古語拾遺に次いで世に出た本格的な神道古典なのである。この三書からは見えてこない物部氏や大三輪氏の伝承、諸国の国造などの記述があり、そこに準拠すべきものも内包される貴重な記録書でもあるのだ。

 そして今日、落魄したかたちの舊事紀の考証研究は、さほど積極的になされていない。

 王政復古の号令のもと明治維新が成り、伊勢神宮は、千年余のときを超えて朝廷の宗廟としての地位を回復する。明治五年、大教宣布運動の流れのなかで、神宮司庁には神宮教院が設立される。この神宮教院から、神道五部書は皇祖を冒涜する偽書として指定すべきだ、といった要望書が提出されたりもしている。現在、神道五部書は、伊勢神宮の醸し出すベールのなかで、それなりに扱われている。

 かつては、伊勢神道の神書と崇められながらも偽書のレッテルを貼られたまま野に晒されて来た舊事紀と、明治維新から敗戦までの八十年間に醸成された国家神道形成のなか、皇室の宗教的権威を纏った伊勢神宮に繋がる神道五部書との違いを、いま、見る思いだ。

 五部書の多くの研究者は、それを歴史書でもなく文学でもないという。教典であり思想書であり宗教書だというのだ。

 だが、五部書のなかの『倭姫命世記』は歴史史料の如く思われ、元伊勢伝承が生み出された。舊事紀、大成経からは記紀には無い伝承や、聖徳太子が撰述したとされていることで、様々な異本が出された。そこから各地の神社の由緒書きや社伝などにも引き写され、それがひとり歩きしている。我われは、それらを許容し、受け入れる信仰的精神風土のなかで生活してきた先祖からの血を継いでいる。

発見されたホームズの直筆 実在の人物か ?

 私共の研究会で集めた元伊勢伝承の資料のなかに、ある博物館の学芸員が、神宮通を自称する人が意外に日本書紀と倭姫命世記とを同列に扱ったり、倭姫命世記が史実どころか古代の伝説でもないのに、いつの間にかそれがあたかも史実であるかのように信じられているということは、歴史とは怖いもの、といった困惑の態のレポートがある。

 中学生の頃、コナン・ドイルのシャーロック・ホームズを読み漁った。正典或いは聖典と称される四冊の長編を含む六十編をほぼ読み終えた。シャーロキアンと呼ばれる熱狂的フアンが世界中にどの程度居るのか知る由もないが、ホームズが棲んでいたベーカー街を見下ろす家を訪れるひとは引きも切らない。書斎にはホームズ愛用の拡大鏡やパイプが収められている。友人のワトソン博士と初対面の場所とされる病院には、ホームズが発した言葉が顕彰版に残されており、日本の軽井沢にも立派な銅像が立っている。そしてつい最近、養蜂農家の倉庫からホームズ直筆の手記が発見され、実在した人物か、と云われ始めた。古き良き時代の成熟した大英帝国への郷愁は、新たなロマンをも増殖させていく。

 倭姫命も元伊勢も、またロマン。

 次回からは元伊勢の神社を廻る。

(奈良 泰秀  )