大祓祭での奉納舞

  

 「お祓い」という言葉は、よく耳にすることがありますが、もともとどういう意味なのでしょうか。

 むかし書かれた本の『神道名目類聚抄』には「祓とは、つつしみの義なり。 邪念発れば是を除、あやまりては即改、不浄なれば是を去。(中略)風、梢の塵を拂、水、物の垢を洗ふが如し。(後略)」とあります。 つまり、祓の目的とするところは、不浄を清浄に、不完全を完全に、不良を善良にすることとされ、さら更には災厄を除き、幸福と平和とをもたらすことにあるのです。この祓という神事は、他の宗教にはみられない、日本神道(にっぽんしんとう)のみで行われる独特な行事なのです。

 そして大祓とは個人を対象にした祓ということではなく、全体、公という意味の「大(おお)」、 いわば天下万民、社会全体の罪穢れ、災厄を取り除く為の祓ということで「大祓(おおはらえ)」といわれております。ですから悪疫が流行したり天災などの異変があったとき、或いは天皇崩御の際や大嘗祭のときなども行なわれてきましたが、恒例としては、六月、十二月のみそか晦日に執り行われてきました。

 この大祓の起源は、いつ頃なのか詳しい事は判りませんが『日本書紀』や『古語拾遺』の記述からみて、既に上代の頃から行なわれてきた儀式のようです。 そして、国家の制度が成立したとされる大宝令(約千三百年近く前に成立)の頃に、国家の、社会全体の為の行事として定められ、六月、十二月に決って行なわれるようになりました。

 その頃、我国の暦の制度では一年を二季に分けていたようで、つまり一月から六月までを一年、七月から十二月までは別の新しい年といった感覚でとらえていたのです。 つい最近まで、我々の生活のなかで盆と正月前にそれ迄の決算をするという習慣はその名残りなのです。 ですから六月晦の大祓祭は、六月祓、夏越祓または夏越節句とも言われ、年の境目といった重要な儀式とされておりました。 一時期、十二月晦日の大祓が途絶えて、六月(みなづきの)祓(はらえ)のみが行なわれていたこともありましたが、明治の初めに旧儀復興の布告が出され、現在でも古い伝統に基づき、前半歳と後半歳にこの大祓の儀式が執り行なわれております。私が宮司を務めております、天ノ岩座神宮では古儀に則り、この大祓祭を重儀としておりますが、一般の神社では、とくに十二月など参拝者が多く訪れる元旦前日に行われることで、形骸化された祭事となっていることは残念でなりません。

 この大祓の儀式の際に読み上げられる言葉(ことば)が、『延喜式』のなかに載せられている大祓詞なのです。この大祓詞は、罪穢れ、悪事や災難を取り除く為の祓詞なのですが、我国で最も古い祓詞といわれています。

 平安朝の頃、京都の大内裏朱雀門の前で、親王以下百官男女を集めて中臣氏が大祓詞を読み上げ、忌部氏が祓いをする、と書物に記されています。

 この大祓詞の作者は不明とされていますが、古くから、中臣氏の祖先で、神話にも登場する天児屋根命の作ではないか、といわれています。紙面の都合上その内容については次の機会にゆずりますが、その文章は荘厳にして流麗、そして神秘さを感じさせる、まさに言霊の極致といっても過言ではないでしょう。声を出して奉唱することで、まさに身も心も洗われる思いがします。

 現在の大祓詞は、原形のそれに較べて多少の改竄と省略の箇所がありますが、太古の精神を脈々と息づかせ、いまに伝えております。

 すまい住居やお店など半年も放っておけば、ちり塵やほこり埃がたまってしまいます。 皆さんと一緒にこの大祓詞を奉唱し、この年の半歳(はんとし)間に、知らない間についてしまったかもしれない心の汚れや災いをはら祓い落して、清々しい心豊かな新しい半歳を迎えましょう。

(宗)天ノ岩座神宮 宮司 奈良 泰秀