トピックス

朝鮮神宮

 

七月二十二日から二十七日までの六日間、国際会議「IIFWP・アセンブリ・二〇〇四」のお招きを受け、今回の開催地となった韓国を訪れる機会を得た。日本からの参加者は十五名。百八十を越える国・地域から二百名以上のゲストが集い、分科会等では連日熱心な討議が行なわれた。

私のとっては二度目の訪韓。毎日の忙しい会議の寸暇を割いて、担当の方にソウルの街を案内して頂いた。タクシーから見る街の景色は、二年前に来たときより綺麗になり、湧き上がる活気のようなものが感じられた。

始めに、ソウルを訪れた外国人が必ず行くであろう観光スポット・朝鮮李王朝の宮殿だった景福宮に向かった。暑い陽射しのなか、地元の人を含め、多くの観光客で溢れていた。

十四世紀半ば、高麗王朝を倒した朝鮮王朝の太祖・李成桂が風水地理学によって首都を定めて遷都し、此処に宮殿を造営したとされる。そしてこの宮殿は、十六世紀末、豊臣秀吉の文禄の役で一度焼失している。余談だが韓国ではこの秀吉を倒した徳川家康が、英雄として人気があるそうだ。

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つい先日のことだが、私共の古神道講座の受講生や研究会の事務局の者達と群馬県の北西部にある岩島村を訪ねた。この岩島地区は品質の良い麻を産出する栽培地として古くから有名である。

麻は日本の伝統文化や神道の世界から切り離せないものがある。しかし現在、それを声高に言う者は、ほぼ居ない。最近、私共では神道サイドからこの麻の存在を見直し、麻の文化の復権を目指す趣旨で、研究会のなかに分科研究会「麻文化研究会」を発足させた。先月も滋賀県の奥伊吹地方で消滅しかかった郷土芸能復活を果たすため、それに必要な麻製の着衣を織る目的で麻栽培を始めている地域の見学に行って来たばかりだ。

神に献るものを幣帛と云い、最も重要な取り扱いをすべきものとされる。古来より麻はこの幣帛の代表的な品のひとつとされてきた。十世紀の平安初期に成立した国家の法制書である「延喜式」には、制度として神社への幣帛の詳細を記載しているが、この幣帛の中には、絹などと共に麻が挙げられている。また麻は、神事で行なう罪科穢れを祓う“祓具”として用いられた。それが後には、神宮大麻というように、神符の一種としても扱われるようになって来ている。

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神職養成講座

私共の研究会では、二ヵ月に一度開催しているセミナーや華道講座のほかに、“精神(こころ)と作法(かたち)を学ぶ”を標榜する新教派系の神職養成を兼ねた少人数制の古神道講座を開催している。数名単位で行なう寺子屋式とでもいうような不定期の開講だが、受講されるのは東京近郊よりわざわざ地方から来られるひと達の方が多い。微々たる人数でも、回数を重ねることで受講者は百名を越えた。手前味噌になるが、いまのところ、講座の趣旨や内容等に対して批判がましいことは一件も寄せられていない。マスプロではない、膝と膝を接しての心を通わす手造りの講座の良さを実感している次第だ。

受講する三人に一人は女性だが、受講者の経歴などは実にさまざまだ。単に岩笛や古神道に興味を持つ者から始まって、ヨガやカウンセリングや占いのグループなど自分の組織をもつ者、小規模ないしは中規模の教団の後継者や幹部、諸教の範疇にはいる神道系の教団に奉職している者、単立法人の神社の宮司職と、幅広い。講義の課目には陽明学や学術的な風水学、言霊学なども取り入れているが、受講目的は、神道の知識を得るため、有職故実などの教養のため、或いは祭式の行事作法の習得、行事作法の見直し、といったようにこれもまた様々だ。

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世界救世教いづのめ教団(熱海)

私共の研究会が改称する前は「新宗教教祖研究会」と称した。神道系を中心とした教祖を研究するということで今から七年前に設立したが、当初、研究会の名称にしてはいささかいかがわしいと友人や周囲の者によく揶揄された。深く考えることもなく研究会の主旨をストレートに名称にしてしまったが、オウム事件の後遺症もあって、今さら新宗教の教祖に学ぶことなどでもあるまいと思われたらしい。

この研究会を設立する前の数年間、私は母校の國學院大学へ戻って神道周辺のことを学んだ。そこで得た結論は、伝統に拠った“神主言挙げせず”で、積極的に発言しようとせず、麻(ぬさ)だけ振っていれば良いと言うような神社界からは、何も新しいものは生まれて来ないだろうということだった。停滞している伝統宗教としての神社界に、新宗教の活力を取り入れることは出来ないものか、といったことを模索して、神社での新しい祭りの創出、家庭での一人一社・神棚奉斎運動、神道葬祭をベースとした教団葬儀、といった幾つかの提言を行なって来た。紙面の関係でこれには触れないが、機会があればいずれこの事に就いて述べたい。

当時の私のコメントを紹介してくれた新聞記事で次のようなのがある。

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住吉大社(大阪)

前回でも言ったが、伊豆能売(いづのめ)は「古事記」の伊耶那伎命の禊祓の場面に、たった一度だけ現れる。黄泉の国からのがれてきた伊耶那伎命は「穢れを清めるための禊をしよう」と仰せられ、筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原で禊をして身体の穢れを祓われる。それまで伊耶那伎命は,いまは黄泉の国に居る伊耶那美命と共に数多の国と神々を生み出して来たが、この禊祓の際にも神を誕生させる。まず、投げ捨てた御杖から生まれた衝立船戸神(ついたつふなとのかみ)を始め、ここで身につけていたものを脱ぎ捨てることにより生まれたのは十二柱の神々。

そして、「是に詔りたまはく、『上つ瀬は瀬速し。下つ瀬は瀬弱し』とのりたまひて、初めて中つ瀬に堕(お)ちかづきて滌(すす)きたまふ時、成り坐せる神の名は、八十禍津日神(やそまがつひのかみ)、次に大禍津日神(おほまがつひのかみ)。此の二神(ふたはしら)は、其の穢繁(けがれしげ)き国に到りし時、汗垢(けがれ)に因りて成れる神なり。次に、其の禍を直さむと為て成れる神の名は、神直毘神、次に大直毘神、次に伊豆能売(あはせて三神なり)。」とある。

更に水の底にもぐって身を清めたときに生まれたのは、海をつかさどる底津綿津見神と、航路をつかさどる底筒之男命。次に、水の中で身を洗い清めたときに生まれたのが、中津綿津見神と中筒之男命。次に、水の表に出て身を清めたときに生まれたのは、上津綿津見神と上筒之男命。この六神はすべて海の神で、底津・中津・上津の綿津見三神は九州志賀海神社の御祭神となり、底・中・上の筒之男命三神は、日本三住吉と称される大阪・福岡・下関のそれぞれの、住吉神社の御祭神となる。

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出口王仁三郎

国家権力に依る大本に対する二度に亘る宗教弾圧は苛酷なものだった。大正十年二月の、不敬罪並びに新聞紙法違反の罪名に依っての第一次大本事件には二百名の警官隊が動員され、第一審判決後には神殿が破壊された。更に十四年十ヵ月後の昭和十年十二月、第二次大本事件では、前回をはるかに上回る五百名もの武装警官隊が綾部と亀岡の大本本部を急襲した。罪名は治安維持法違反と不敬罪だが、これに依り出口王仁三郎と側近の幹部が検挙された。弾圧は地方の出先機関にも及び、その数は百ヵ所を超え、各地の多くの幹部も検束された。翌十一年には大本に対しての解散命令と建造物破壊命令が出され、裁判の判決を待たずに両聖地を始め、地方の関連施設の破壊が強行された。一説には聖地の月宮殿破壊には千五百本のダイナマイトが使用され、検挙された三千名を超える信徒のうち、拷問などで十六名が死亡したと云う。この弾圧は国家権力側に、大本が国家体制の中に、もうひとつの異質の体制を創ろうとしたものと映ったことにほかならない。王仁三郎に率いられた大本は壊滅的な打撃を受けたが、大本から派生し、その教義からの影響を反映させている教団は現在も数多い。

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