雛流しの神事(淡島神社) 撮影:山本哲也(www.wafufu.com)

“祓え”という神事は他の宗教では見られない、日本神道のみの独自の行事である。私の講座で受講生に「祓いは神道の専売特許だ」などと云っている。

祓えとは、知らず図らずに犯したであろう心身の穢れ、災厄といったものを儀式に依って消去させる祓い方と、おのれが犯した罪穢れを、贖(あがな)い物、代償物を差し出すことでその罪を贖うという祓いの、二通りの祓えがある。後者の代償物を提出させるということは、古代においては、祓えが刑罰に代わるものであったものと思われる。つまり祓えは、穢れに対する祓いと、罪科に対する祓いの、二つがある。

神道は清浄を最も重んじるが、この穢れとは物理的な汚穢というより、死の穢れや血の穢れなどに接することを忌み嫌うという観念的な捉え方である。そして現実に穢れに近づくことで、穢れが魂にまで付着するものと考え、穢れに触れた者に接することで、その穢れが更に乗り移るとも思われていた。

また、穢れとは「気枯(けが)れ」「気離(げが)れ」であり、溌剌とした生命の耀きや霊的な強さを表す“気”が衰えた状態を、穢れと見たものとも思われる。気の衰退は生命と日常の生活の活気を奪うことで忌み嫌われた。そのようなことで祭祀の前に行なう潔斎では、穢れを遠ざけて清浄さを保ち、気を充実させる“忌み籠り”が重視されて来ている。

江戸時代の正徳四年(一七一四)に、イラストを豊富に入れて刊行された当時の神道辞典とも言うべき『神道名目類聚抄(しんとうみょうもくるいじゅうしょう)』(六巻)の“祓”の項には、「祓いとは、つつしみの義なり。邪心発(おこ)れば是を除(のぞき)、あやまりては即(すなはち)改(あらため)、不浄なれば是を去(さる)。日用平生此(かく)の如(ごとく)して、心神(しんじん)常に清浄正明ならしむ、是を祓いと云ふ。祓いの訓は払いなり。又洗なり。風、梢の塵を拂(はらひ)、水、物の垢を洗ふが如し。(中略)伊弉諾尊穢しき所に至り給ては、檍原の水に漱ぎ給ふ。(略)是祓なり。(後略)」と説明している。

つまり、祓の目的とするところは、おのれの我儘などを取り去って本来の自己に立ち返り、不浄を清浄にして不完全なことを完全にし、不良を善良にする。更には災厄を除き、幸せと平和をもたらし新しい生命の出現と発展を願うものとされる。

人形焼却の神事(灰を川に流す) 写真協力:(www.norichan.jp)

祓えの起源は、『古事記』『日本書紀』の記述から窺える。その一つは、伊弉諾尊が死後の世界の黄泉国で触れた汚穢を、筑紫の日向の橘の小戸の檍原で禊ぎ祓えをされ、身を清めたことに拠る。禊ぎを行なうために裸身にならなければならないのは当然だが、このとき、伊弉諾尊は杖、帯、衣類、履(くつ)など、持ち物や身に着けられていた物すべてを投げ棄てる。これで知るのは、身に着けていた物にも汚い黄泉国の罪穢れが触れたかも知れないということで、すべてを捨て、身ひとつとなって祓い清めることで数々の神々を生み出し、最後に天照大神・月讀尊

・素戔鳴尊の『記』で謂う三貴子の誕生を見ることだ。これは禊祓によって、清めた身に崇高な精神性を体得する境地に達する、ということに他ならない。

この禊祓の禊ぎとは祓えのひとつだが、必ず水を使い、身体に付いた汚穢を削ぎ取るものである。故事に倣い汚穢を祓いやる目的で、海水や清い河川の水で身を清めるという行事は古来より行なわれて来た。禊祓のひとつによく知られている水垢離(みずこり)があるが、これも禊ぎや祓えと同じ観念に基づいた行事である。水垢離は単に垢離とも言われているが、聖と俗とを峻別し、祭祀に関わる際の形態として重要な要素ともなっている。

水によって心身を清め、罪穢れを洗い流して海の彼方に祓いやることは、さまざまな風習にも発展している。年中行事となった三月の雛流しは、水辺で行なう祓えの行事を中国から移入したものだが、これが習合し、身体に付いた罪穢れを雛で擦って移して河川の水に流す行事になっている。そして、民間習俗の人形流し、病流しといった行事などに転化して行く。余談だが、トラブルを解消して和解することを“水に流す”といった表現をするが、これも罪穢れなどを流して、新たな生活に備えるということから由来している。

このような禊ぎは私的な印象を与え、祓えは公的な要素が強いといった見方もある。現在の宗教儀式として祓えは、大麻(おおぬさ)や塩湯(えんとう)によって行なわれるのが一般的だが、私は講座で儀式での祓えは次のような四つがあると教えている。それは、火「切り火」、水「塩湯」、風「大麻」、心「言霊(祝詞)」の四種だが、これは私の解釈である。

そして冒頭の、自分の罪を贖い物を出すことによりそれを失わせるということでの祓えは、逆に云えば、他より祓えを科されることでもある。高天原における素戔鳴尊の狼藉により、天照大神は石窟に入り天磐戸を閉じて篭もられる。高天原は昼夜が替わるのも解らぬような闇黒の世界となる。思兼神を始め諸神は天安河原に集い、いろいろと計略を巡らせて、遂には天照大神を引き戻す。結果、この事件を起こしたことで素戔鳴尊は、罪を贖うための沢山の代償物を出すことを科される。更にはその罪穢れを祓うために祓えのひとつの体刑で、鬚を切られ手足の爪を抜かれ、高天原から追放されてしまう。

一方の祓えは、この素戔鳴尊の贖い物に起源する。素戔鳴尊は自分の犯した罪の免除を乞うために、多くの置台に置き並べるほどの贖い物を差し出すが、もともとは“祓の具”は“贖物”と言われ、罪穢れのある者がこれを提出する義務を負わされていた。始めに祓えが刑罰に代わるものと云ったが、それが次第に賠償刑といった捉え方となり、被害を蒙った者や罪穢れに触れさせられた者が、損害賠償の意味合いの代償物を要求する風潮に変わって行ったようだ。

現在、神社などで恒例として六月と十二月に執行されている大祓えには、麻、菅、米、解縄(ときなわ)などが用いられるが、これは贖い物の名残りである。また人形(ひとがた)に自らの穢れ、災厄を移すのも、先のような祓えの精神をいまに伝えていると言えよう。

(奈良 泰秀  H16年12月)