いまイランがきな臭い。核開発に向けて突っ走るこの国の情報が、連日のように伝えられる。中東湾岸の人口七千万人近くを擁する地域大国イランは軍事大国でもあり、二年後の二〇〇八年には核兵器の完成が予想されている。
なぜ急にイランは核問題や軍事演習などで世界的緊張をつくり出す国に変貌したのか。それは昨年六月の大統領選挙で、極右ともいえるテヘラン市長マハムード・アフマディネジャードが勝利して政権を握り、国の進む方向を右に急旋回させたことに他ならない。
だが数年前、リベラルで穏健派だった前任のハタミ大統領は、現在とは違った道を模索していた。改革と自由を公約し、西側との関係改善に努力する姿は、イスラーム世界から歩み寄る異文明間対話の希望の星に思えた。一九九八年には国連総会で「文明の対話」の重要性を説く講演を行い、これを受けて国連は、〇一年を「国連文明対話に年」とした。九九年には、イスラーム指導者としては初めてローマ法王との会談も実現している。二〇〇〇年に初来日を果たし、東工大での講演では多くの人々に深い感銘を与えた。それは政治家というより聖職者・思想家・哲学者としてのモハンマド・ハタミ師としての言葉だった。
この講演に応えるかたちで、有識者に感想文書簡の提出が呼びかけられた。寄せられた多くの書簡の中には私の一通もあった。そして、私の書簡が選ばれ、「日本イスラーム団体協議会」の澤田沙葉師とイラン大使館文化部参事官エスマイル氏を通じ、翻訳されてハタミ大統領に渡された。その書簡は宗教新聞に掲載され、“ハタミ・イラン大統領尊敬いたします”・「異文明間対話にご尽力を」・「共通意識に深い感銘」といったタイトルが付けられた。“今後イランのイスラームと古神道の交流が期待される”とも書かれた。僅か五年前のことだ。
昨年、憲法の三選禁止規定によりハタミ師は政治の表舞台から去った。保守勢力の抵抗もありアメリカとの関係正常化も進まず、政治改革と経済活性化は失敗で、失業率も増大した。性急な改革結果を待ち望む国民の間には失望感も拡がり、ハタミ師には失意の幕引きとなった。
不透明で混迷の時代。世界平和を話し合えるイスラーム世界からの指導者の出現を期待したい。日本の歴史・文化・宗教などを理解して講演に臨んだハタミ師のような―。ハタミ師の許にはペルシャ語に訳された私の書簡が、まだ保管されているのだろうか。希望を込めて若干の修正を試み、ここに再録する。
この度、極東の地より閣下にこのような書簡を差し上げる機会を得ましたことを、感謝致しております。
昨年(二〇〇〇年) 訪日されました閣下が十一月二日、東京工業大学でご講演されました全文を、改めて拝読させて頂きました。
ここで閣下の異文化間の対話に対する厚い熱意とご努力、ご自身の教養と叡智、更には日本文化への想いに深い感銘を覚えました。それと共に、我われが対極にあると思っておりましたイスラーム教の信奉者としての閣下が、あまりにも我われとの共通意識を持たれていることに驚かされました。
私はヒロシマの山中にあります古神道を継承し、神殿を設けない太古の信仰形態を保っております神社の宮司でございます。ここでは人工的なものを排除した自然のなかで、神々がご降臨される依代(よりしろ)となる磐座(いわくら)を奉斎しております。また私は、“日本の伝統文化と新しい文明の研究”を標榜し、「日本人の霊性」「日本の礼節」「宗教のゆくえ」などを主要な研究テーマに据えております「にっぽん文明研究所」の主宰者でもあります。
閣下は今回のご講演のなかで、『あなた方日本人は、諸々の文化・文明の対話に関して古くから貴重な経験を積んでいます…』。と、述べておられます。
日本が八世紀以降、中国の文化・文明から取り入れたものを、自らの好みや資質に合わせて育んできたことが、文化の対話の顕著な例と言われました。また日本の別の経験としては、宗教を取り上げられ、それは神仏混淆であり、一例として両部神道の名も挙げておられます。そして、『現在すでに実感しているような、われわれの自然環境を脅かす危機的状況やそれに類する危険を回避するためには、西欧の過去の文化や、インドやイラン、日本、中国他の諸地域の文化遺産といった、さまざまな文化の深層から響く声に耳を傾ける他に道はありません…』。とも説かれました。
私はこれを、「大自然のなかに我われ人間が調和と融合で望み、先人たちの精神的遺産を継承しての、異文明との対話と協調の重要性」という視点で捉えました。
ご存知かとは思いますが、日本の古神道とそれを源流とする神道には教義・経典といったものがありません。縄文期まで遡る太古の祖先は、気象の動きや自然の恵みに神々の存在と生命がそこに宿ると信じていました。そのような自然から学ぶ生活のなかで生きていくための規範が、自ずから形作られていきました。大自然への感謝、神々への感謝、ときには畏怖の念をも表現することが“祭り”という形になりました。人々は自然風土を征服するのではなく共に生き、森羅万象すべてを“祭り”の対象とする生活習慣を築きました。
その後に海を渡って大勢の渡来人が押し寄せ、新しい文化・弥生文化が発生する二千数百年前までは、一万二千年の長きに亘ってこの縄文文化期が続きました。縄文期の普遍的精神性と宇宙観に見出す古神道の霊性への回帰を世界に訴えることが、私の使命であると思っております。日本人の表層意識から消えた霊性の甦りを目指しての古神道復興運動・「原始・縄文神道の精神に立ち還れ!」というスローガンを掲げる神職は私も含めごく少数です。この思想の基底には、「調和・融合・対話・協調」の精神が内包されております。その主張は、日本がバブル崩壊という経済的敗北と挫折感を味わった頃より、物質よりこれからは心の安らぎを求めるひと達に、少しずつ共感と精神的支持を得て、共鳴の輪が拡がっております。
また、閣下は、「異文明間の対話」を重視されております。閣下がどの様な評価をお持ちかは存じませんが、初め一九九三年に発表されたアメリカの政治学者、S・P・ハンチントン博士の「文明の衝突」の論文は、その後補足され、九八年には邦訳されて我国でもベストセラーになりました。直ちにハンチントン博士の学術的理論への疑問や反論なども挙がりましたが、それは措きまして、二十幾つかの言語に訳されたこの本は、日本でも政治・経済・宗教などの関係者を始め、さまざまな分野のひと達に反響と衝撃を与えました。
(奈良 泰秀 H18年5月)