当研究所の神職養成講座にて

母校の國學院大學には営繕工事などに関わることで出入りをしていたが、神道研修室長だった綱嶋清先生は、家相に興味を持っておられ、多少それを学んでいた私をたまに家に呼んでくれた。東京と神奈川県にまたがる綱嶋街道の名称は、先生の苗字から取っているという旧家である。百五十年以上たった冠木門の解体の中止を勧めためたことがある。

お宅を訪ね、「先生、おれ、スペインに神社建てるよ…」。昭和の初めに海外神社研究会を設立し、戦後は海外神社史編纂会を発足させた神道家の小笠原省三は、「日本人のあるところ必ず神社あり。神社のあるところまた日本人があった」と著書のなかで述べている。私もそのころは、スペインに神社を建てようと本気で思った。日本の精神を伝えるのには神社が最適なのではないか、と思っていたのである。それは幻想だったが…。

「なんでスペインに神社なんだ」、と綱嶋先生は怪訝な顔をした。そのとき、海外で無為に過ごす、腑抜けのような日本人の精神を鍛え直す修養の場として、神社が最適なのではないかというような主旨のことを語ったが、どの程度先生に理解してもらえたか判らない。

神社がそのような働きができるはずもないことを知ったのは、少したってからだった。先生は、それじゃ、まず神主にならなくちゃな、私が推薦してやるよ、と言ってくれた。

そして年二回、大学で開催される一ヵ月間の神職養成講習会に参加した。宗教法人の神社本庁が大学に委託して行なうものだ。二ヵ月の神社奉仕も義務付けている。資格を取得しようとする神道科以外の学生、会社勤めから親や身内の神社を継ぐことになった子弟、右翼関係者など、さまざまな経歴の者が居た。

国家資格ではないが神職資格を得たことで、建設の同業者から地鎮祭を頼まれるようになった。当時、出張して行なう地鎮祭を仕事にしようなどと思いついた者は、それまで誰もいない。いわんや氏子区域という縄張り意識を持つ神職が考えつくはずもない。

DM(ダイレクト・メール)を三千枚刷った。講習会の仲間を何人か誘い、設計事務所や工務店にDMを出すと次々と依頼がきた。この出張神事は成功しそうだった。

ある日、空手部の納会で神社の後輩が酒の勢いを借りたのか少し顔を赤らめ、思いつめたように言った。

「先輩、お日供をしなくて、神職といえるでしょうか―。」

私は一瞬、絶句した。いつもなら先輩ぶってなにかものを言うのだが、返答ができない。後輩の顔を見たまま、それきり何も言えなかった。そして、後で恥じた…。確かにそうだ。神明奉仕もせず、形だけでは神職と言えない。

二年足らずだったが、それを仕事にするのを止めた。その収入を当てにしていたのではなく、自分の着想の良さを実感したかったのだ、ということに気づいた。周りから目の付けどころがいいと褒められ、得意になっていた。神ごとには心が伴うという指摘は、むしろ新鮮だった。

現在、私が開催している古神道講座で開始奉告祭が終った後、受講生に最初に言うことが二つある。その一つが、「お金儲けのために神様を利用しないこと」。それを言うごとに緊張しつつも直言してくれた後輩のことを思い出す。誤りを気づかせてくれたことを今でも感謝している。

それから五、六年もすると、同じように出張神事を始めた者が現れた。神社も建立して、いまも順調にやっているが、初めのころは他の神社から陰湿な嫌がらせが相次いだようだ。「嫌がらせをする前に、神社界は氏子教化をして、我々みたいな者が活動できないようにすることが先ですよ」と開き直って、神社界の足許を見透かして言う彼にも一理ある。

この最大手にいる男は、一時期空手部に籍を置いたことでいろいろ相談に乗ったことがある。右翼団体の幹部に納まったことで、いつの間にか神社からの嫌がらせはなくなったようだ。需要があって、供給がある。同じように住宅メーカーや工務店に売り込んで地鎮祭を請け負ってところもだいぶ増えているようだが、情けないことに、現在では一般の神社も彼らのやり方を真似て後追いしている。

私は、神社はいつも独自に祭りを創るべきだと言っている。伝統を背負い、人々の信仰心を高揚させ神社の神々にお働きいただく素材はいっぱいあるのに、活かしていない。神社はもっと知恵を出すべきだ。定年退職後に心の安寧を求め、神社奉仕を望む人は多い。神社界は社会経験の豊富な信頼できる人物を選び、無人の兼務神社を任せるくらいの度量も必要だろう。これからは団塊の世代の退職者も増えてくる。

神社に奉職する神職の教育の見直しも考えなくてはいけない。神職養成の講習会は以前と同じような内容でいまも行なわれている。だが、現行の学習程度でこと足りるとしたら、神職の質は知れたものだ。講習会を受講するとき、少なくとも真面目に神社奉仕に務めようと思うはずだ。運転免許を取得する際、誰もが自分は交通違反や事故を起こそうなどとは思わない。神職が悪弊に冒されることなく質を高めるために、年に何日間かの受講を義務づけ、毎年繰り返し学習を行なうことだ。

さらにいえば、神道科の学生が履修する科目を他の学部と同じように捉えているところにも問題がある。神職となる者に詰め込むだけの学問は必要ない。そのようなものは直ぐ忘れる。自らが必要と思い勉強することで、初めて本当の学問が身に付く。

神と人との仲を執り持つのが神職の仕事だ。

突き詰めれば、神職に必要とされるのは、“精神(こころ)と作法(かたち)”だ。だが、現在の教育内容では、この“精神(こころ)”を教えることがスッポリ抜けている。それを神社に奉職してから学べ、というのでは、正しい自習法を見つけることができればよいが、周囲の勉強をしていない神職を見習うことで、神職の質は徐々に低下していく。精神の根幹となり土台となるものはしっかり教えるべきだ。

履修科目の内容については認可など手続き上の問題があるだろうが、精神を鍛えるための方策は、合宿などいくつもあるはずだ。講習会に参加してから十数年後に、上の階位取得と教養のため数年間、大学へ聴講に通った。学ぶほど学習内容を見直すべきだと痛感した。神職を目指す者の教育の土壌を変えないとサラリーマン神主を生み続けるだろう、と。

大学には初めから禁止されている車通学をし、終りころには聴きたい科目を顔パスで聴講していた。偉そうなことも言えないが…。

(奈良 泰秀  H18年7月)