神道つれづれ

奈良泰秀 連載コラム 宗教新聞掲載(2003/12 ~ 2008/4)  

 イスラームの生死観   -終末には肉体を持って復活- 2003/12/5・20合併号
 伊勢の神宮と遷宮    -清浄さと永遠性の意義を伝える- 2004/1/20号
 祭りの創出      -渡来系の影響色濃い神社と新しい祭り- 2004/2/5号
 磐座(いわくら)祭祀の意義  -自然と神と ひととの共生- 2004/2/20号
 戦没者慰霊と神秘体験  -頭を垂れる英霊の姿- 2004/3/5・20合併号
 時代が変える葬送儀礼  -神道葬祭、微増の兆し- 2004/4/5号
 古史古伝の世界(上)   -判官びいきに通ずる想い- 2004/4/20号
 古史古伝の世界(中)   -宗教書としてのアピールを- 2004/5/5号
 古史古伝の世界(下)   -「先代舊事本紀」を再検討- 2004/5/20号
10  秋田・唐松神社にて    -物部の神の復権- 2004/6/5号
11  神道と古神道        -古神道精神の復権に向けて- 2004/6/20号
12  宮中三殿           -宮中祭祀神道の意義- 2004/7/5号
13  華道講座に想う    -神籬(ひもろぎ)華道の創設に向けて- 2004/7/20号
14  夏、フラワー・チルドレンの回想 -師が勧めた戦没者慰霊- 2004/8/5・20合併号
15  朝鮮神宮のこと      -「檀君国師堂」建立に向けて- 2004/9/5号
16  日本の麻について    -麻文化の復権- 2004/9/20号
17  精神(こころ)と作法(かたち) -手造りの古神道講座- 2004/10/5号
18  新宗教と埋没神(上)    -甦る伊都能売神- 200/10/20号
19  新宗教と埋没神(中)    -古事記に一度出現の伊豆能売- 2004/11/5号
20  新宗教と埋没神(下)     -伊都能売神社の建設を- 2004/11/20号
21  祓えと大祓え(上)      -罪と穢れについて- 2004/12/5・20合併号
22  祓えと大祓え(中)      -穢れと大祓え- 2005/2/5号
23  祓えと大祓え(下)      -再興させたい臨時の大祓え- 2005/2/20号
24  大祓詞と天津祝詞の太祝詞(上) -混同されている大祓詞- 2005/3/5号
25  大祓詞と天津祝詞の太祝詞(中) -宣命体と奏上体- 2005/3/20号
26  大祓詞と天津祝詞の太祝詞(下) -平田篤胤の天津祝詞- 2005/4/5号
27  大祓詞と天津祝詞の太祝詞(続・1)-伝わらない太祝詞事- 2005/4/20号
28  大祓詞と天津祝詞の太祝詞(続・2)-行事からみたい太祝詞事- 2005/5/5号
29  空手道部の合宿       -元伊勢への関心- 2005/5/20号
30  元伊勢ロマン‥        -「倭姫命世記」の伝承- 2005/6/5号
31  元伊勢の伝承の源流(1)      -伊勢神道と神道五部書- 2005/6/20号
32  元伊勢の伝承の源流(2)      -偽書説と歴史ロマン- 2005/7/5号
33  元伊勢の伝承の地・奈良(1)   -倭姫命世記から派生- 2005/7/20号
34  元伊勢の伝承の地・奈良(2)   -諸説ある笠縫邑- 2005/8/5・20合併号
35  元伊勢の伝承の地・奈良(3)   -信仰心が伝承を土着化- 2005/9/5号
36  「シオン長老の議定書」の背景   -創られた予言と警告の書- 2005/9/20号
37  宇宙神教光明会           -元気を取り戻す新宗教- 2005/10/5号
38  近代神社神道・雑感(上)        -神仏習合からの脱皮- 2005/10/20号
39  近代神社神道・雑感(中)        -国学者たちの蠢動- 2005/11/5号
40  近代神社神道・雑感(下)        -大教宣布のゆくえ- 2005/11/20号
41  国学の巨星・本居宣長(上)      -南都・松坂にて- 2005/12/5・20合併号
42  国学の巨星・本居宣長(中)      -少年時代の宣長- 2006/1/20号
43  国学の巨星・本居宣長(下・一)    -もののあわれ- 2006/2/5号
44  国学の巨星・本居宣長(下・二)    -桜好きの宣長- 2006/2/20号
45  岩 笛 (上)      -縄文の岩笛- 2006/3/5号
46  岩 笛 (下)      -神代の楽器・岩笛- 2006/3/20号
47  清 祓 い (上)    -霊能者の師- 2006/4/5号
48  清 祓 い (中)    -競売物件の怪- 2006/4/20号
49  清 祓 い (下)    -『笑翁』異聞- 2006/5/5号
50  ハタミ大統領への手紙 (上)   -右傾化するイラン- 2006/5/20号
51  ハタミ大統領への手紙 (下)   -宗教間対話の推進を- 2006/6/5号
52  番外編 五十代からの神道 (1)   -アラブへの旅立ち- 2006/6/20号
53  番外編 五十代からの神道 (2)   -イン・シャー・アッラー- 2006/7/5号
54  番外編 五十代からの神道 (3)   -神職養成の見直し- 2006/7/20号
55  番外編 五十代からの神道 (4)   -チュニジアの空手格闘家- 2006/8/5・20合併号
56  番外編 五十代からの神道 (5)   -旅人のゆくえ- 2006/9/5号
57  番外編 五十代からの神道 (6)   -世界に発信する神道を- 2006/9/20号
58  沖縄縣護國神社   -沖縄戦没者の慰霊- 2006/10/5号
59  台湾の神社と忠烈祠(上)   -総統が祭典の主祭者に- 2006/10/20号
60  台湾の神社と忠烈祠(下)   -大半が能久親王を奉斎- 2006/11/5号
61  神社の伝承(上)   -日本最古の石上神宮- 2006/11/20号
62  神社の伝承(中)   -鎮魂祭の起源- 2006/12/5号
63  神社の伝承(下)   -足踏み・歩行の呪術- 2006/12/20 号
64  元伊勢原像(一)   -廃村に立つ石碑- 2007/2/5 号
65  元伊勢原像(二)   -水銀をめぐる闘い- 2007/2/20号
66  元伊勢原像(三)   -ミステリアスな丹生都比売神- 2007/3/5号
67  元伊勢原像(四)   -『先代舊事本紀』と『倭姫命世記』- 2007/3/20号
68  元伊勢原像(五)   -製鉄史で読み解く神道- 2007/4/5号
69  元伊勢原像(六)   -神宮“創祀二千年”と古代暦- 2007/4/20号
70  元伊勢原像(七)   -元伊勢伝承と壬申の乱- 2007/5/5号
71  元伊勢原像(八)   -見直し進む古代史- 2007/5/20号
72  元伊勢原像(九)   -百数十もの比定地が- 2007/6/5号
73  元伊勢原像(十)   -伝承の起点、笠縫邑- 2007/6/20号
74  元伊勢原像(十一)  -伊豆加志本宮から紀伊へ- 2007/7/5号
75  元伊勢原像(十二)  -紀氏と日前國懸神宮- 2007/7/20号
76  元伊勢原像(十三)  -広い範囲の名方濱宮- 2006/8/5・20合併号
77  元伊勢原像(十四)  -三たび倭への遷幸- 2007/9/5号
78  元伊勢原像(十五)  -御室山に坐す神- 2007/9/20号
79  元伊勢原像(十六)  -樋口清之博士と箸墓古墳- 2007/10/5号
80  元伊勢原像(十七)  -内行花文鏡と製鉄- 2007/10/20号
81  元伊勢原像(十八)  -殉葬の古代史- 2007/11/5号
82  元伊勢原像(十九)  -謎の大物主神- 2007/11/20号
83  元伊勢原像(二十)  -古代への憧憬- 2007/12/5・20合併号
84  番外編 聖地エルサレム  -宗教間対話で中東平和を!- 2008/2/5 号
85  元伊勢原像(二十一)  -三輪から宇陀へ- 2008/2/20号
86  元伊勢原像(二十二)  -伝承をつくる倭姫命- 2008/3/5号
87  元伊勢原像(二十三)  -そして伊勢へ‥‥- 2008/4/20号

エルサレムの岩のドーム

 
 いつの間にか、聖と俗との領域が不確かとなり“宗教”の輪郭が見えにくくなって来ている。時代に合わせて送られるさまざまな情報で本質が拡散され、宗教が持つ本来の信仰と救済の焦点がはっきりしない。これからますます多様化するであろう宗教に求められるものは何か。

 オウムのサリン事件以後、社会が宗教に対して持つ不信感は未だ払拭されていない。伝統宗教、新宗教を問わず、現在もその後遺症を引きずって活力を出せずにいる。

 近年、異文明間対話が話題となっている。この“文明”の根底に宗教が存在していることに人々は気づき始めた。もはや誰もが宗教に無関心でいるときではない。われわれはいま、“宗教とは何か”を改めて考え直さなければならないときに居る。

 イスラームが大衆レベルで認識されるようになったのは、そんなに遠いことではない。

 終戦直後の48年に勃発し、その後四度に亘って引き起こされた中東戦争は、アラブ・イスラーム世界と建国間もないイスラエルとの戦争だったが、戦後復興に忙しい日本人にとっては遠い地域での戦争でしかなかった。イスラームという宗教が持つエネルギーを思い知らされたのは、79年、世界中に報道されたイラン革命ではなかったろうか。あれから四半世紀。科学が急速に発達し、交通と通信がより便利になり世界はより狭くなった。これでわれわれは否応なしにイスラームと向き合わなければならなくなった。

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伊勢神宮(外宮)勾玉池

 既に昨年のこととなるが、十一月中旬、伊勢の神宮で開催された第五回「まがたま祭」に私共の研究会も参加した。この「まがたま祭」を主催するのは、平成9年より神宮司庁の公認奉賛団体となった「伊勢神宮勾玉会」である。

 勾玉会の活動は、外宮・内宮の環境保全と整備を通して神宮の弥栄に寄与するとし、特に近年、参拝者の減少傾向にある外宮の興隆を目指し、外宮勾玉池の整備、奉納舞台等の施設、勾玉会館の建設などを謳っている。

 少宮司も臨席される勾玉池畔での奉納行事等の「まがたま祭」前日に、前夜祭が鳥羽市内のホテルで行なわれた。これには神宮関係者、伊勢市長、伊勢市議会議長始め奉賛団体代表など全国から百数十名が出席されたが、ご指名を受け、参加の関係団体を代表しご挨拶をさせていただく機会を得た。ここで、いま神社界では、次回のご遷宮は無理ではないかといった声が密かに囁かれている、だが、日本人の精神的規範の原点とも言うべき神宮の遷宮が、遅延するようなことがあってはならない、これを国民運動として盛り上げていくべきではないか、といったことを述べて締め括った。

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松尾大社(京都)

 最近、古いスクラップブックを整理していて、今から14年前の新聞記事が眼に止った。「選択なき現象に無関心でよいのか?」『高齢化社会像を聴く』といったタイトルで、人口問題をテーマとした講演会でのルポ記事だが、これは神職の傍ら、知人の経営する医療関係の新聞社に一時期席を置いた私が取材したものである。

 変動する世界で、どのような不測の事態がいつ起きるか判らない。だが、こと人口問題だけは、既に生れた人間の数を基に数字をはじき出すので、ほぼ正確に将来の予測が出来るという。現在の資料を出して比較して見ると、いまの「高齢少子化」の状況を的確に指摘し、諸外国始め我が国の出生率の予想なども、ほぼ正確な数字で表されていた。

 我が国は、平成七年(’95)に65歳以上が人口の14㌫を超える高齢社会となった。僅か6年後の平成十三年(’01)には、高齢化率が17㌫を超えた。これから日本は人口減少国となり、今世紀前半で、人口が14㌫減少するという。今後それによって考えられることは、介護の必要度の高い80歳代人口の増加、生産年齢層への社会保障負担の重圧などに加え、特に、国の活力の低下に繋がる労働力不足が、大きな問題になるとされている。

 しかし、現わされた数字や将来の予測は、現在の状況から判断する現実とでは、どうも乖離したものがあるように思えてならない。

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天ノ岩座神宮

 私が宮司を務める神社の本宮には、磐境を奉斎するので社殿がない。この磐境は、山陰と山陽地方を分ける中国山脈の、広島県中央部にあたる山中に在る。境内の辺り一帯は深い樹林に包まれ、静寂さと森厳さが漂うなか、朝には狭霧が流れて千古の時を超えた雰囲気を醸し出す。参道の平地から、すり鉢状の沢を降って反対側を登り、なだらかな頂上台地に達した処に神籬・磐境(磐坂)が鎮座するという、神殿を設けない典型的な上古の磐座信仰の形態を、いまに伝えている。

 太古にあって神々は、高い山や海の彼方からやって来て、人々が祭りを行う神聖な神籬とする處に降臨された。神々は祭りの度ごとに神籬に降臨され、祭りが終わると神籬から離れて帰られた。ときが経ち、仏教が渡来し、人びとの棲む場所に寺院が建てられると、これに倣って神々のための社殿も建てられるようになった。そしていつの間にか、それまで移動型だった神々は、この社殿に留まるようになり、現在に至っている。

 かつて神籬とされた磐座での祭祀が、いまでも神社によって厳修されている処もあれば、人々の記憶から消えて忘れ去られた処もある。箱根神社のように、八世紀の社殿建立より遥かに遡って行われて来た磐境祭祀が、明治になって途絶え、約一世紀後の昭和三十年代に古代祭祀として復活させたところもある。

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戦前のテニアン神社 (昭和7年鎮座)

 私はかつて神秘体験というか特異な現象に遭遇したというか、奇妙な体験を二、三度している。勿論、私は霊的な能力など持ち合わせてはいないし、そのようなことに就いてはむしろ鈍感なほうだと思っている。一度は特に強烈で、今にして想えば、その数分間の出来事が、まさに自分の生き方の転換を促した体験だったと思っている。

 大学卒業後、父親の仕事を手伝い、その後独立して会社を興し事業に専念していたが、神道や神社の世界とは無縁な生活をしていた。また、高校生の頃、同人誌に籍を置いた繋がりから、前衛演劇との関わりがあった。海外公演の演劇活動を通して外国への関心が拡がった。寝袋を担いで日本と外国の行き来のなかで気付かされたことは、それまで考えても見なかった日本の文化や歴史を見直そうという気持ちであった。帰国後、神社本庁の神職資格を得、のちに仕事を辞めて瞑想と行の五年半、更に大学へ戻って神道の勉強をするための何年間かを送ることになる。

 その間、ひとを介して私の師となる広島在住の神職・溝口似郎師と出会う。近衛将校だった師は中支、フィリピンの激戦地で優れた透視能力を発揮し、常に部隊の損害が軽微なことで有名となり、予言部隊長の異名で知られていた。戦後、戦犯死刑囚としてモンテンルパ刑務所に服役するが、のちに冤罪が晴れ死刑囚の汚名を雪いで帰国。その後は神明に奉仕され、戦没者慰霊にも東奔西走されてセブ島での忠霊塔建立を始め、沖縄や千鳥が淵などでの慰霊も熱心に行っていた。

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